隠者のぷれじゃー

 ──私の名はフィリス。
 18歳の時、友人に強引に連れられて二人、ダーマに修行に行って…………その友人を差し置いて成り上がった賢者だ。
 その友人とは、修行の途中で離れてから一度も顔を会わせていない。まだ修行を続けているという知らせは数ヶ月前に耳にしたけど、今でも修行は続いてるのだろうか。
 その友人を置いてきぼりにして、私はダーマで出会ったミリーという娘に着いて、魔王討伐という遠大な目的のために旅をしている。先日、サマンオサで魔王の手下だという魔物を討伐し、変化の杖を手に入れた私たちは、新たな情報を耳にして旅を続けていた。
 ……のだが……
「あー、もう! 夏連載のお話だってのに、なんでこんな猛吹雪の中歩かなきゃなんないのよー!!」
「何わけの分かんないこと言ってんだよ! ほら、口開いてるヒマあったらさっさと歩きな!」
 私を挟んで前後を歩く二人のうるさいことといったら。確かに私もこの猛吹雪のなか歩くのはいい加減うんざりしてきてもいるのだけど。

 私たちは、グリンラッドに偉大な魔法使いが隠遁しているという話を聞いて、そこに向かっていた。
 オリビアの岬の呪いを解くためには、幽霊船に行く必要があるようなのだが、幽霊船を見つけるために必要な道具を、その魔法使いは持っているらしい。それを聞いて私たちは早速この北の地にやってきたのだが……着いた途端、この有様だった。
 まあ、誰かさんの不運が吹雪を呼び込んでるんじゃないのか、っていう考えもちょっと頭をよぎったけど……それならそれで、悪天候が収まるまで船で待機してればいいものを、どこかの頭の固いミリーさんが「行くんだ」の一点張りで強情なものだから、結局この吹雪の中を歩かされている、という次第に。

「だいたいねー、あたしはすっごく華奢でデリケートにできてるのよ?! マリアちゃんたちと違って、繊細なのよ?! それなのにこんな強行軍させられて……ああ、かわいそうなあたし! 春の嵐に晒された桜の花みたいに、儚く散っちゃいそう! よよよよ……」
 私の背後にいるトリスが、大きな身振り手振りで一人芝居を始める。この強風の中だっていうのに、よくそれだけの身動きができるものね。
「何が繊細だよ! あんたの場合、花は花でも根性したたかな食虫花じゃないのか!?」
「なーんですってぇー!」
 ああもう、また始まった。勝手に言わせておけばいいのに、何でマリアもいちいち言葉を返すんだか。
 トリスは私の横を追い越して走っていくと、前にいたマリアに飛びつこうとした。とはいっても、この悪条件の中で、その上戦士としての身のこなしが抜群にできるマリア相手にそう簡単に組み付けるわけもなく……トリスはそのまんま雪の大地に真っ正面から飛び込んでいった。
「うう……、マリアちゃんひどーい……」
 突っ伏したままトリスがぼやいている。私はそれを見てどうしようか悩んだ末に……
「ぶぎゃ」
 ……トリスの頭を踏みつけて、その上を通り過ぎることに決めた。
「ちょっとフィリスちゃん! なんで、わざわざ踏みつけていくのよー!!」
 案の定、トリスはすぐさま起き上がって叫んできた。……ムダにエネルギー余ってるわね。
「さっきっからぴーぴーうるさいからじゃない。マリアの言うとおり、少しは静かにしたら? 死んでも知らないわよ」
 私は軽く脅しをかけてやった。こうでもしないと、トリスは言うこと聞きそうにないから。
「う……」
 予定通り、トリスは言葉を詰まらせて静かになった。振り返る余裕はないけど、多分涙目になって唇を噛んでるのだろう。
「ほら、ぼーっと突っ立ってないで、着いてきなさい。置いてきぼりになるわよ」
 前を行くミリーとマリアの歩みは全然緩まない。このまま行くと、冗談抜きに置いてきぼりにされかねない。私は二人の姿を見失わないようにしつつ、トリスが着いてこれるように歩く速さを調節した。
 間もなくして、雪を踏みしめる音が近付いてきた。素直に言うことを聞いてくれたようだ。よかっ……

 ──ごっ!

「あいたっ!」
 ……思い切り、頭の後ろを硬いもので殴られた。余りにいたかったので私が頭を押さえてうずくまっていると、その横を小さな影が通り過ぎていった。
「ふーんだ! フィリスちゃんのバカー!」
 私を追い越し、舌を出して杖を振り回すトリス。
 ……あんのガキんちょ、折角人が気を遣ってあげたっていうのに……!
「ちょっとトリス、待ちなさいよ! 今日という今日は、その腐った根性叩き直してあげるから!」
 私は立ち上がって、逃げるトリスを追いかけていった。

 

 あれからどれくらい歩いたか。
 二度、三度、戦闘を交え、体力の限界が見え始めてきたところで、私たちは不可思議な場所に出くわした。
「……なあ、あそこだけ、雪が降ってなくない?」
 マリアが指を差した先には、確かに雪のまったく降っていない場所があった。まるで、周囲を吹きすさぶ吹雪が意識的にそこを避けているような、そんな不思議な空間だった。
「ほんとだ、なんか変ー」
 確かに変……なのだけど、なんかあからさまに怪しい。それこそ、地面に置かれたエサの上に、ヒモ付きのつっかえ棒をしたザルが置いてあるような、そんな怪しさ。
「よし、行こう」
「ちょっと、ミリー!?」
「……いずれにせよ、このままでは全滅しかねない。ならば、罠でもいいからここに入ってみるべきじゃないか?」
 全滅しかねない状況作ったのはどこの誰よ。
 そんなことを考えているうちに、ミリーはその怪しい場所に踏み込んでいった。

 ──キンッ!

 そんな小気味いい音がして、一瞬閃光が散ったかと思うと、次の瞬間にはミリーの姿は跡形もなく消えていた。
「喰われた」
「ちょっと、トリス。縁起でもないこと言わないの! ねえ、どうする、マリア?」
 私がマリアを見上げると、彼女はしばらく何か考えていた様子を見せて、
「仕方ない、あたしらも行ってみよう」
「えー……」
「大丈夫だよ、フィリス。アンタの考えすぎだって。それに、あたしもこんな寒い中にずっといたくないしね」
 言うなり、マリアはミリーと同じように、雪のないその空間に飛び込んでいった。一瞬の光の後に、マリアの姿が雪原から消える。
「…………ねえ、フィリスちゃん?」
 私に背中を向けて、じっと二人の消える様子を見ていたトリスが、振り返ってにやっと笑った。
「どーしても嫌だったら、このままあたしたち二人だけで帰る? ルーラで」
 か、からかわれてる……こんな子供に……! そう思った途端、私はかーっと頭に血が上ってしまった。
「ばっ、馬鹿なこと言ってんじゃないわよ! 誰がそんなこと……」
「あっははは、じょうだーん。さ、早く行こ、フィリスちゃん!」
「あっ、ちょっ、ちょっと……っ!」
 私は強引にトリスに腕を引っ張られて、連れ込まれていってしまった。

 生暖かい感触が全身を撫でたかと思うと、直後に目の前が虹色に変化して……

 気が付けば、私たちは雪の全くない草原の中に立っていた。
「何、ここ……?」
 一体どうなっているのか、さっぱり分からず、私は周囲を見回した。明らかにさっきまで私たちがいた雪原とは、場所が違う。見渡すかぎりの緑色の大地が広がっていた。
「うわー、すごーい。何だか不思議だよね」
「そうだな。もしかしたら、あたしたちが会おうとしてる魔法使いだかがやってるのかもな……ん、何やってんだ、ミリー?」
 私たちが話をしている横で、ミリーはまったく違う方向を向いて目をこらしていた。
「いや、あっちの方に……何か見えたような気がして……」
 ミリーが前方を指差したが、その先に何かが見えるという様子はない。他の場所と同じように、ただ緑色の絨毯が広がっているだけだった。
「何も見えないわよ。気のせいじゃない?」
「いや、そんなはずはない。確かに……」
 私が言ったことに耳を貸さず、ミリーはただじっと同じ方を見続けている。……頑固ねえ、まったく!
 私はもう一度ミリーに声をかけようとしたが、その前にマリアがミリーの向いている方向に向かって歩き始めた。
「ちょっと、マリア?」
「見えたか見えないか、行ってみりゃハッキリするじゃんか。こんなトコでしゃべってるヒマあったら、歩いた方が早いだろ」
 また始まった。それで何度私たちが巻き添えを食ったか、分かってるの?!
 ……とは言っても、こうなった以上、私が何か言ったところで態度が変わることは絶対にない。
「仕方ないわね。もし何かあったら、責任とってよ?」
「分かってるって。さ、それじゃあ行……あれ、ミリーはどうした?」
 つい先程までそこで様子を窺っていたはずのミリーの姿がない。
「ミリーちゃんなら、とっくに先に行っちゃったよ?」
 いつの間にかトリスが私たちより先に立って、さらにその向こうを指差した。その先には、既に随分小さくなっているミリーの後ろ姿が……
「あっ、ちょっと待ちなさいよ! 何勝手にひとりで行ってるのよ!」
 私の声に気付いて、ミリーがこちらを振り返った。あんまりのんびりしていると、直情径行なミリーのことだから本気で置いて行きかねない。私たちは急いで、ゆっくりと歩いているミリーの元に駆けていった。

 最初に立っていた場所からはかなり距離はあったものの、ミリーの言う方について歩いているうちに、遠くの方から小さな建物の影が見えてきた。
「お、本当にあったな。もしかして、ここが話に聞いてた魔法使いの家か?」
「確かにあったけど……よくあんなの見つけられたわね。いったい、どういう目してるのよ?」
 私が尋ねると、ミリーはその家の屋根から伸びる一筋の煙を指差した。
 ……全然答えになってない……っていうか、あれが手がかりだったとしても、普通に見えないと思うんだけど。本当にどういう目をしてるんだか……
「どうでもいいじゃん、そんな細かいコト。それより、早く行ってみようよ」
 トリスが走って私たちを追い越す。本当に元気なことね、呆れるくらい。
「ねえねえ、偉大な魔法使いって、どんなんかなあ」
 トリスが先頭に立ったまま、後ろ向きに歩きながら聞いてきた。
 ……あの顔は。また何か下らない妄想でも侍らせてるわね。
「そりゃあ、そんな風評が立つくらいだから、誰かさんのご想像とは似ても似つかない、ご高齢のお爺ちゃんかお婆ちゃんなんじゃないの」
「えー、そんなの面白くなーい」
 皮肉も込めて私が言ってやると、トリスは口を尖らせ頬を膨らませた。面白いとか、そういう問題じゃないでしょうに。
「どうせなんだから、超美形のお兄さんとかがいいなあ。二十代半ばくらいの、長身で、細面。流れるように長ーい、神秘的な銀青色の髪でー、……あっ、人気を嫌ってこんな所でひとり暮らしてるんだから、儚い無常感も孕んで達観した感じがあってー、でもってきっと本の虫だろうから眼鏡よね。柳眉に切れ長の目で、こう、“くいっ”て眼鏡を二本の指で持ち上げる仕草がセクシーなんだよ、たまんなーい」
「……よくもまあ、そこまでペラペラと妄想をまくし立てられるわね」
 別に何にも聞いてないのに……立て板に水どころか、滝壺に注ぎ込む河の水がごとく、次から次へと矢継ぎ早に、それも大量にトリスが言葉を並べている。
「ああ〜ん、その卓越した知識は『知性』という名の『豊穣の樹』! そこになる甘い果実のような言葉で私を撃ち抜いてぇ〜」
 トリスが自分の腕を抱えて体をくねらせる。
 ……やめてよ、気持ち悪い。見てる私が鳥肌立ってくるじゃない。
「アタマ大丈夫? そんな白昼夢さながらなこと、あるわけないでしょ。もっと現実を見なさい、現実を」
「ぶー、フィリスちゃんったら、夢がなーい」
 トリスがぶーたれて私に絡んでくる。これ以上相手にすると無駄に疲れるだけなのは目に見えているので、私は無視を決め込むことにした。
「ま、美形なのか、じーさんばーさんなのかは、ここを開けてみりゃはっきりするさ」
 家の前まで辿り着くと、マリアはそう言って入り口の扉に手をかけた。

「ん、お前さんたち、誰じゃ?」
「失礼しましたー」
「こら待ちなさい」
 扉が開かれて、その向こうの部屋の中央に座っている老人の姿がちらりと見えるなり、トリスはさっさときびすを返して立ち去ろうとした。私はすかさず振り返り、トリスの手首を鷲掴みにして引き留めた。
「一体どこ行くつもり? まだ何もやってないでしょうが」
「いやーっ! あんなヨボヨボのおじーちゃんだなんて、話が違うー!」
「あなたが言うような美青年だなんて話、誰もしてなかったじゃないの。ほら、駄々こねてないで、こっちに来なさい!」
 首から腕から、振れるところは全て振ってぐずるトリスを、私は強引に引っ張って部屋の中に押し込めた。
「わっはっは、賑やかでいいことじゃの」
 先程の老人が、私たちのことを見て笑っている。失礼で申し訳ないやら、みっともないまねを見せて恥ずかしいやらで、掘ってでも穴に入りたい気分だ。
「騒がしくて申し訳ありません」
 老人は怒っているようには見えなかったが、私はとにかく頭を下げた。さすがにその辺は分かるらしく、トリスも私の横で同じように頭を下げているのが見えた。
「いやいや、礼儀正しいお嬢ちゃんたちじゃの。気にせんでええ。それより、わざわざこんな所まで足を運んできたのじゃ、何かわしに用件があるのじゃろ?」
「ご老人、貴方に一つお伺いしたい。私たちは、船乗りの骨という道具を所有している人物を探しているのだが、ご老人はそれについてご存じないか」
 ミリーが私たちの前に立って淡々と話を進めた。しかし、「ご老人」て……もう少し言い方があるでしょうに。機嫌損ねられたら、どうするつもりよ?
「なるほど、そういう事じゃったか。確かに、船乗りの骨は今、わしの手元にある」
「本当ですか。では、それを私たちに譲っては頂けないでしょうか」
「いやいや、さすがにわしも対価を払って譲り受けたものじゃからな。タダで、というわけにはいかんのう」
「そうですか。それでは、何をお譲りすれば……?」
「そうじゃのう……」
 老人はあごひげをくゆらせていたかと思うと、私の方を見て突然目を輝かせた。
 ……ちょ、ちょっと待って、それってもしかして……?
「のう、そこのお嬢ちゃんや……」
 やっぱりーっ!?
「きゃーっ! ごめんなさい、ごめんなさい!! 他のことなら何でもしますから、それだけはーっ!!」
「……何の事じゃ? わしはまだ何も言っておらんぞ?」
「へ? あれ?」
 私はふと我に返って周囲を見た。呆然と私のことを見ている四組の視線……何だか急に恥ずかしくなって、私は反射的に顔を下に向けた。
「それより、お嬢ちゃんの持っておる、その杖を見せてもらえんかの」
 杖?
 私は背負っていた荷袋に目をやった。袋の口から見えていたのは、サマンオサの一件で手に入れた変化の杖の先端だった。
「これですか?」
 私はそれを袋から抜き取ると、よく見えるようにお爺さんの近くに持っていった。
「おお! やはりこれは変化の杖! まさかこのような形で見つかろうとは!」
 すると、老人は椅子から立ち上がり、驚きを全身で表しながら変化の杖を隅から隅まで見て回り始めた。なんだか、随分訳アリっぽいけど。
「お嬢ちゃんたちや、ものは相談じゃが、わしは船乗りの骨を譲るから、代わりにこの変化の杖をわしに譲ってはくれんかの?」
 私は背後の三人を見た。みんなの態度から「好きにしたら?」という言葉が見て取れる。
「それでいいのでしたら……お譲りします。私たちには、取り立てて必要なものでもありませんし」
「なんと、まことか!? 何でも言ってみるものじゃ。では船乗りの骨を持ってくるから、待っておれ」
 老人は飛び跳ねながら部屋の奥にあるタンスの中身をひっくり返し始めた。隠遁する偉大な魔法使いって言うから、もっと落ち着いた凄い人を想像していたけれど……なんだか随分慌ただしい人ね。
「おお、あったあった! さあ、これが船乗りの骨じゃ! 持っていくがよい!」
 盛大に散らかった荷物の上を乗り越えて、老人は私に「それ」を手渡した。
 え、これが……?
 一見して、文字通りただの骨に紐をくくりつけただけの代物としか思われない。骨の側面に何か文字らしきものが彫ってはあるけれど、それにしても……
「なんじゃ、疑っておるのか? 大丈夫じゃ、それからは何か不思議な力が感じられる。じゃから信用せい」
 まあ、そうまで言うのなら、信用した方がいいのかしら。どの道、私たちも持て余していた道具と交換したんだし。
「ところで、あなたはその変化の杖を随分欲しがっていたようですけど、一体何に使うつもりだったのですか?」
「む? まあ話せば長くなるのじゃがな……」
 老人は私から変化の杖を受け取ると、早速それを振りかざしてみせた。ぽんと紫色の霧が広がったかと思うと、老人はバニー姿の若い女性に変身した。
「うっふ〜ん☆ ぱふぱふしていかな〜い?」
 け、結構です。
 何も言えず呆然としていると、女性(に変身した老人)は再度杖を振りかざすと、今度は私たちと同じ年の頃に見える若い男性に姿を変えた。
「おや、ようこそいらっしゃいました。ご一緒にお茶でもいかがです?」
「はあ……」
 ただもう口をぽかんと開けているしかない私の前で、男性はもう一度杖を振りかざして元の老人の姿に戻った。
「いい加減、人目を避けて暮らしているのにも飽きてきての、こいつで姿を変えて街に出て、若いもんでもナンパしようかと思っておるのじゃよ、わっはっは」
 偉大なる、という触れ込みだったからどんな人かと期待してたのに……ただのスケベジジイかい。
「……それじゃあ、私たちは失礼します。お爺さんもお元気で……」
「おお、おお。それじゃあの」

 私たちが家を出て扉を閉めると、扉の向こうから喜びはしゃぐ老人の声が聞こえてきた。何だかもうバカバカしく思えてきて、私は一つため息をついた。
「どうした、フィリス。元気ないぞ」
 マリアが私の頭を軽く叩いた。
「うん……さっきのトリスじゃないけど、なんか幻滅しちゃった、って感じ?」
「ま、オトコはみんなあんなもんだ、ってことだろ?」
「えー、そんなこと絶対に無いよー! 世の中、探せば清廉潔白な人だって、きっといるよー」
「あー、はいはい。そういう話はあんたの頭ん中だけでやってくれ」
「ぶー……」
「なあ、それより、ここにあんたより深刻そうな顔をしてる人が一人いるんだが」
 マリアはそう言って、隣にいるミリーを指差した。ミリーは顎元に手を当てて、小難しそうに何かを考えている雰囲気だった。
「どうしたの、ミリー。何か、考え事?」
 私が声をかけると、それからしばらく時間を置いてミリーが顔を上げた。
「ん、ああ、いや、大したことじゃないんだが……先程の老人のことで少し」
「なんだ、何かおかしな事でもあったか?」
 何か不自然なところでもあったのかしら、と私も記憶を掘り返してみる。別段大しておかしな事は無かったように思うけど……
「いや、あの老人、杖で若者に扮して異性と交際をすると言っていただろう。しかし、あの老人、女性にも扮していたのだが……」
 何やら話がおかしな方向に流れてきた……私は嫌な予感がしてミリーの隣から少し距離を置いた。
「やはり女性に扮したときは、男性を誘うつもりなのだろうか。そうならば、外見は女性であれ、実際には男性同士の交際ということになるのかと」
「ぎゃー、ストップ! ストップー! やめてー!」
 トリスが頭を抱えて叫び声を上げ始めた。あーあ、今更そんなことしたって遅いって。
「以前誰かしらに、悟りを開いた者の中には、男女の性差を超越した観念を持つ者もいると聞いたことがある。ならばあの老人も……」
 あー……誰から聞いたか知らないけど、その人は少なくともそんなつもりで言ったんじゃないと思うわよ?
 とはいえ、そう言ったところで聞いてくれるはずもないだろうし、私はさりげなくに歩、三歩、ミリーから遠ざかって距離を置くしかできなかった。見れば、マリアも同じように後ずさってミリーから距離を置こうとしていた。
「俗世を離れて人恋しさを覚え、女性に扮して男性との一夜の情事を求める。あの老人はそうしたことをやろうとしているのかと……」
「もうやめてーーーーー!!!」
 トリスが突然大声で叫びだした。それに驚いて私たちが腰を抜かすと、トリスは私たちの目の前で呪文を唱えだした。
「あっ、ちょっ、トリス、待っ……!」
 私の制止を待たず、トリスは呪文を完成させて、その場所から飛び立っていってしまった。
 …………ルーラだ。
「行っちゃった……」
 呆然とトリスの立っていた場所を私は見つめた。呪文の余波で足下の草が微かに揺れていたが、それも僅かな時間の後には元通り静かになった。
「……私は、一体何かしたというのだろうか?」
 何が起こったのか微塵も分かっていない様子で、ミリーが呆然と呟いた。
 こう何度もやらかしてくれると、本当に確信犯なのか疑わしくなってくるわね。まあ、逆に故意にやってたとしたら、それはそれで大したものだけど。
「なあ、フィリス。あいつ、どこに飛んでったと思う?」
「……さあ。取りあえず、ルイーダさんとこに行って、あの子が戻ってくるのを待ってみる?」
「やっぱ、それしかないか」
 私とマリアは一緒に揃ってため息をついた。

 まったく、二人して世話の焼けることで。

[END]


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