久々に訪れたラインハットの城下は、依然と変わらない様相を見せていた。
「変わらないな」
 私は目を伏せると、あの時……この町を出る日のことを思い返した。
 あれは……もう、十年も前のことだ。
 私はこのラインハット城に仕える王宮騎士だった。登用試験を通り、若者らしく行く先の展望に胸を膨らませていたものだ。
 だが、仕官を初めてすぐに、私は些細な意見の衝突から団長に手を上げてしまった。当時血気盛んだった私は、団長の全身を殴りつけ、数日は意識を失わせるほどの重傷を負わせた。
 そして、その様なことをした私は、当然のように騎士の座から追いやられた。
 まだ、罪を問われて処刑されなかっただけましだろう。今でこそそう思えるが、その時の私はその様に考えることはできなかった。どの道、暴行を働いてくびになった私に、ラインハットで就ける職などありはしない。そう思い、私はこの国を捨て、旅に出ることにした。
 人付き合いを嫌い、騎士団でも一匹狼だと言われていた私に、見送ってくれるような者はいまい。そう思い、私は宵のうちに荷をまとめ、密かに町を出ることにした。

 だが、町を出ようとしていた私を待っていた男がいた。

 私と同じ時に騎士団に入り、団では私と同じように人を避けているきらいのある男であった。団に入ってから、私は彼と話したことはない。決して親しい相手だとは思ったことなど一度もなかった。
 だが、彼はそんな私を見送るために城門でずっと待っていた。
 特に何か話をしたわけではない。ただ、出て行こうとする私に「行くのか」と尋ね、私が頷くと、「そうか」と返しただけである。
 ただ、それだけのことである。しかし、この十年間、私はその時のことを片時も忘れたことはなかった。

 私は、その当時と変わらない、明るい城下の賑わいを見て目を細めた。まるで、ここは十年前から時が止まっているかのようである。

 騎士団を追われ、旅に出ていた私の元に、半年ほど前に一通の便りが届けられた。
 既に団にも国にも籍のない私に宛てられた、登城の要請である。
 なぜ城は今になって私にこのような手紙を宛てたのか、その真意はまったく分からなかった。それを確かめるため、そしてもしその理由が私の意に合うようなものであれば、再びこの城に仕官するのも悪くはない。そう思い、私は十年という歳月を経て再びこの地に赴いた。
 私は一度襟元を正してから、荘厳たる城門をくぐり抜けた。

「待っていたぞ」
 城門をくぐり抜けた先、大きなかやの木の幹にもたれかかり、腕を組んでじっとこちらを見ている男がいた。
 まるであの夜と同じようにして私に呼びかける、この男は誰だ?
「なんだ、忘れたのか? こうして待っていればすぐにでも思い出すと思ったのだがな」
「まさか……ロゥエルか?」
 男は頷いた。私は驚いた。まさか、ただ一人私を見送った男が、このようにして私を待ち受けていようとは思いもよらなかったのだ。
「久しぶりだな、オーエン。十年ぶり、か?」
「……そうだな」
 ロゥエルは私の元にやってくると、右手を差し出してきた。徐ろに私もその手を取る。ろくに会っても話してもいない相手のはずである、にもかかわらず、私たちは何十年来の親友のように固い握手を交わした。
「それでオーエン。会ったばかりで何だが、私と一緒に来て欲しいところがあるんだ」
 ロゥエルは親指を立てて自分の後方を指差した。明らかにそちらは私が向かおうとしていた城とはまったく違う方角である。私は首を横に振った。
「いや……。悪いが、私は城から呼び出しを受けているんでな」
 私が断ると、ロゥエルは目つきを鋭くして私のことを見据えた。
「それより重要な話だ。お前が城へ行く前に、どうしてもしなければならない」
「……どういうことだ?」
 私が眉根をひそめると、もう一度ロゥエルは先程と同じ所を指差した。
「それを今からこちらで話そうというのだ。往来ではとてもできないような話だからな。感謝しろ、私が他人を家に呼ぶのは初めてのことだからな」
「……よく言う」
 しかし、ロゥエルがするべきだと言っている話も大層気になる。もしそれが私のこれからしようとしている事に関わるのであれば、尚更のことだ。ゆえに、私はロゥエルに従って彼の家に赴くことにした。

 

「しかし、どうして私がここに来ることを知っていた?」
 ロゥエルの自宅とやらに案内をされ、茶などを出された。ロゥエルの自室と言うことだそうだが、まったく彼の人のなりをよく表している。テーブルとベッド、書棚を除いて他に何もない、質素なものだ。
「なに、私もお前と同じで呼び出されたのだよ。そうしたら城でお前の話を耳にしてな」
 ロゥエルが自分の出した茶を口につける。正直私も喉が渇いていたので、素直に茶をよばれることにした。
「それにしても、わざわざ出迎えるとは一体どういう了見だ? お前のことだ、何か裏があるのだろう?」
「あまり人を疑うのはよくないぞ。まあ、裏があるのは本当のことだがな」
 そこで、陽気に話していたロゥエルの顔から笑顔が消えた。
「率直に言おう。城には行くな。お前はここで引き返せ」
 何を言い出すのだ、こいつは。仮にも城の騎士とあろう者が、城の呼び出しを受けている私に「行くな」とは、他の騎士が聞いていたら正気を失ったのかと言われても文句は言えないだろう。
 怪訝な顔をしていた私の言葉を待たずに、ロゥエルが話を続けた。
「驚くのは分かる。だがな、今のラインハットは正常じゃない。お前が城に呼ばれたのも、よからぬ事のために違いない」
「……確証は、あるのか?」
 ロゥエルが目を伏せて首を横に振った。
「いや、ない。だが私も城に呼び戻されて二ヶ月の間、内部を見てきた。確証はないが、確信は持てる」
「……信用できんな。その確信は一体どこから来た」
「まずはこれを見ろ」
 ロゥエルが書棚から一枚の紙切れを取り出してきて私の目の前に差し出した。私は言われるがままにその紙切れを受け取り、そこに書かれていた内容に目を通した。
「…………何だと!?」
 思わず声が出た。
 レヌール城の滅亡・崩壊、原因は内部の謀反と魔物の可能性が大。
 大まかな内容はそうであった。旅路の途中で噂話などを耳にする機会はあるが、レヌールが滅亡したなどという話は聞いたことがなかった。まだ極秘裏に回された情報かもしれない。
「それを見て私はいろいろと情報を集めることにした。無論、城についてしまった以上しがらみも大きかったがな」
「……それで」
 不覚にも興味を覚えてしまった私は、ロゥエルに続きを催促した。
「近年の世界の流れ、お前も知っているだろう」
「魔物どもが各地で不穏な動きを見せて、徐々にではあるがすさんで来つつあるらしいな。私も、いくつか魔物に襲撃されて滅んだという集落を見てきたが」
「そうだ。そしてそういった話は当然、城の王や貴族にも届けられる。中には臆病な貴族もいるもんだ、よほど我々や平民などより安全であるにもかかわらず、必要以上に怯えている者がいる」
「嘆かわしいものだな」
「そこで、だ。魔物の驚異を避けるために、魔物を討伐する以外に安全な方法は何か、分かるか?」
 さっぱり分からない。目の前に迫った危機は、己の力で打ち払うしかないのではないのか。私は正直に首を横に振った。
「過去の文献などを調べてみたらな、それを実践した奴がいるという記述を見つたよ……魔物との契約だ」
「契約!?」
 魔と契約するというのか。危機を避けるために、自らが染まってその危機になり果てるというのか。
「そんなのは愚の骨頂だ……!」
 私の正直な感想だ。それでは人としての尊厳を捨てたも同様ではないか。
「そうだな、私もそう思う。だが、確実に目の前の危険からは逃れられるだろう。所詮は一時しのぎだとは思うがな」
 ロゥエルの顔に自嘲じみた表情が浮かぶ。

 その表情を見て私は一つの考えに行きついた。

「……まさか!」
 驚いて私は立ち上がった。到底信じがたい考えだった。
 だがロゥエルの言いたかったことと合致していたようだ。ロゥエルは目を伏せて頷いてきた。
「そんな、そんな馬鹿な……そんなことがあり得るはず……」
 自分への疑いが、情けなさがこみ上げてくる。信じていたものの全てが脆くも瓦解していくような、そんな気がした。
「少なくとも、このふた月で私が見ていた限りでは間違いない。私はもはや城に帰属してしまった以上、逃れる術はない。だがオーエン、お前はまだ城には縛られていない。だから今のうちに……」
 私はロゥエルの言葉が終わる前に席を立った。
「分かった。忠言はありがたく受けよう」
「オーエン……!」
「私はあくまでも『騎士』でありたいからな。このままこの地を去ることにする」
「……そうか。ありがたい」
 私はもう一つのことを決めていた。ロゥエルが調べ上げたという話は、恐らくはほんの氷山の一角にしか過ぎないであろう。世界を回るうちに、そのことについてさらに詳しいことが分かるかもしれない。
「それからロゥエル」
 私は家を出る間際にロゥエルにひとつ声をかけた。
「何だ?」
「茶の入れ方くらい勉強しろ。まずかったぞ」
「よく言うな」
 ロゥエルは鼻で笑い飛ばした。
 そして私達は、あの時と同じように愛想のない別れを交わした。

 

 この時ほど、私はラインハットが遠く思えた時はなかった。

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