第4章

 バティは懐疑の眼差しで目の前の男の姿を見つめていた。
 男に言われるまま、オズと一緒に彼に着いていったはいいが、フレイ達の連れて行かれた城に近付くどころか、城下町から外へと抜けだしてしまった。さらに街を背にして歩く男の背に本当にこちらでいいのかと尋ねれば、男は「心配はないから今は黙って着いて来い」と言った。
 一体、この男は何をしたいのだろうか。この男はどこに向かおうとしているのだろうか。
 道中、まだ新しそうな轍の残る古びた旧街道に出くわすと、男はその道に沿って進路を変えた。道と言っても決して状態はよろしくなく、生い茂る草木に何度も足を取られそうになる。
 そうして半日ほど歩き、すっかり城下町が背後に見られなくなった頃、バティは何度目かの質問をした。
「なあ、アンタ……オーエンとかいったよな。いい加減教えてくれよ」
「ん、何をだ?」
 男、オーエンは、少しだけ歩みを緩めて振り返る素振りを見せてから、再び変わらぬ調子で歩き始める。
「一体、俺達はどこに向かってるのか、ってことだよ。あいつら3人を助けに行くんじゃないのか!?」
 ふむ、とうめくオーエンの声がする。
「何度も言うようだが、心配はない。行けばすべては分かる」
「そうは言うけどなあ……!」
 相変わらずな反応。バティが姿勢を低くして息巻いた。
「まあそこまで言うようなら、今私達が向かっているのは、東方のとある遺跡、とだけ言っておこうか」
「遺跡? ラインハットの東にそんなもんあったか?」
 バティが眉根をひそめた。ラインハットの東方といえば、荒涼たる大湿原と、その周辺に小さな集落が点在している程度で、他には何もないと聞いている。悪条件にも関わらずそれに見合うだけの物もないので、余程の用がない限り近付かない方がいいと聞かされているのだが。
「表向きはそういう事になっているがな。遺跡があるという話は、ラインハットの国内でも限られた人間しか知らん」
「じゃあアンタは何でそんな事を知っているんだ?」
「今は無駄に話をしているべきではない。歩ける時は少しでも先に進む事を考えろ」
 強固に突っぱねた態度を取るオーエン。その反応が気に入らず、バティはオーエンに食ってかかろうと身構えた。
「……ん?」
 その時、オーエンは足を止めて顔をしかめると、バティの手を強引につかんで、彼と一緒に傍らの茂みの中に飛び込んだ。
「え、何、何?」
 状況を見守りながら静かに後に着いてきていたオズは、突然のその行動に訳も分からず立ち往生する。
「君も早くこっちに来い。隠れるぞ」
 茂みの中からオーエンの腕が伸びてきて、オズを手招きする。言われるままオズはその茂みの中に飛び込んだ。
 しばらくそうして茂みの中で身構えて息を潜めていると、荒れた小径の彼方から、かたかたと車の揺れる小さな音が響いてきた。
「……馬車?」
「静かにしていろ。気付かれると面倒なことになる」
 オーエンに諫められて、オズは手で口を覆った。
 それからも、息を潜めたまま、静かに様子を窺っていると、道を遮るようにして伸びている枝葉を強引に掻き分けるようにして進む馬車の姿が、遠くに見えてきた。小径を完全に塞ぎきる程の大きさの馬車。人気のほとんどない、辺境のうらぶれた街道には決して似つかわしくない、大柄で豪勢な馬車である。
 馬車はコトコトと音を立てながら、茂みに潜んでいる三人の目の前を、鼻先を掠めんばかりの近さで通り抜けていく。
 そうして通り過ぎていった馬車の後ろ姿を見送り、たっぷりと車輪の音が聞こえなくなるまで待ってから、三人は静かに茂みの中から小径へと抜け出した。
「ぺっ、ぺっ……! てんめえ、何も無理矢理地面に押し付けることないだろ! 口ん中に泥が入っちまったじゃねえか!」
 外に出るなり、バティがオーエンの服をつかんで、泥だらけになった顔を突き合わせた。
「それはすまない。咄嗟のことで、ああでもしない限りやり過ごせないと思ったのでな。それより、ほら、これで顔の泥を拭いてはどうだ」
「言われるまでもねえよ!」
 オーエンの差し出した手拭いを引ったくって、バティが乱暴に顔の泥を拭い落とす。
「ったく。さっきのあれだって、どうせ俺のコトが気に食わなくて、腹いせにやったんだろ? そうじゃないのか?」
 バティが泥だらけになったタオルをオーエンに投げ渡して毒突く。
「やれやれ、無闇やたらと口が回るな。あまり感心できないぞ」
「うるっせえな。俺がおしゃべりだろうと何だろうと、アンタにゃ関係ないだろ!」
「バティ、ちょっと落ち着きなよ。大人気ないよ」
 ひとり周囲を回って哨戒していたオズが、息巻くバティの様子を気に懸けて押さえに入る。割り込まれたことで意気を削がれたバティが、面白くなさそうにして舌をひとつ鳴らす。少なくともまだ一悶着は起こしそうな雰囲気である……オズは小さく一つため息をついた。
「……とりあえず、馬車は行っちゃったみたいだけど……あの馬車って、もしかして……」
 オーエンの顔が微かに歪むのが見える。オズが更に尋ねようとすると、オーエンはさっと背を向けて一歩前へ踏み出した。
「それも後で話す。取りあえず今は先へ進む事を考えろ。日が沈んだら前進できなくなるからな」
 吐き捨てるように言って、男はひとり勝手に獣道を歩き始めた。何も言えず、二人はただその後に着いていった。

 日が傾き、西日が差し始める頃合いになると、緑の濃い街道の中は急に暗くなり始めた。いくら先を見ても、まだ開けた場所に出る様子は見えないので、三人はその場で野営を取ることにした。
 その野営の支度をする傍らで、二人はオーエンに彼の意図するところ尋ねた。
「──奴隷遺跡?」
 聞き慣れない遺跡の名前を耳にして、バティが眉根を顰める。
「そうだ。ラインハットの城から遥か東方にある、太古の遺跡だ。いかなる理由で、そう呼ばれるようになったのかは知らないが、私はその呼び名でもって教えられた。もっとも、墓荒らしの連中にはあまり知られていないようだがね」
「じゃあ、おじさんは、どこでどうしてその話を聞いたの」
 オズが、思った事をそのまま言葉にして問いかける。オーエンは苦い顔をして頭の後ろを掻いた。
「おじさんは勘弁してくれないかな。こう見えても三十にはまだかなりあるんだが」
「充分おっさんだろ。それより、どうしてそんな話を聞いたのか、教えてくれよ」
 オーエンは口を閉ざし、思いを巡らせるように視線を移ろわせた。
「……知人から聞いて、な」
「知人? 何かそんな特別な情報にありつけるような奴がいるっていうのか」
「まあ、そんなところだ」
 何となく、これ以上聞いてもまともな返事は望めそうにない。そう思ってバティは軽く鼻を鳴らすだけに止めておいた。
「で、そこに行けば、お姉ちゃん達はいるの?」
「そうだな」
 随分と曖昧な感じのするオーエンの返事に反応して、バティが息巻く。
「おい、ここまで連れ出しときながら今更そんな事でいいと思ってんのか! もしあいつらがいなかったら、どう責任取ってくれるつもりだ!」
 激昂するバティを反射的にオズが押さえ込む。
「何だよ、オズ。お前、こいつの肩持つ気か?」
「別にそういうわけじゃないけどさあ」
「じゃあ離せよ! だいたい、俺はアンタのその態度が気に食わなかったんだよ! 『俺様は何でも知ってます』ってな顔して、人を喰った物言いばっかりしやがってよ!」
 大声で喚いて、オーエンに歩み寄ろうとするバティ。このまま話せばつかみ合いの乱闘沙汰になりかねない。オズは必死にすがりつくようにして、バティの体を押さえ続けた。
「私のしていることが気に障ったのであれば謝ろう。しかし、何分こうした気質なものでな。ある程度は我慢をしてくれ」
 やがて、力負けをし疲れ果てたバティが、その場に座り込んだ。その上から、同じように疲れた様子で、オズが覆い被さってくる。
「……畜生、もう好きなようにしやがれ。それより、これだけは真面目に答えてくれ。その奴隷遺跡都やらに行けば、フレイとアネットに会えるって言う保証はしてくれるか」
 これでもう何度目か、数えるのも嫌になるくらい尋ねられた類の問いかけであったが、オーエンは疎ましい素振りを見せることなく答を返した。
「確実ではない。だが、会えると思ってほぼ間違いはないだろう」
「……なんか、すっきりしねえな」
 バティはもどかしそうにして、いつの間にか腕の中にすっぽりと収まって座っているオズの頭を、無造作にかき回した。
「大丈夫だ。仮にそこにいなかったとしても、どうにかなるように手配はしてあるつもりだ」
 それを聞いて、オズの頭に添えられてあったバティの手に力が込められる。
「いっ、いたたたっ! ちょっ、……バティ! 痛いってば!」
「それならそうと最初に言いやがれ! 余計な気を遣っただけ損だったじゃねえか!」
 バティは力任せにオズの頭を叩こうとした。しかし、素早くその気配を悟ったオズに、逆に力いっぱい突き飛ばされてしまった。

 野営の支度を済ませた3人は、おこした焚き火を囲んでまず食事を取る事にした。
「ちぇっ。折角ラインハットに着いて、しばらくいいモンにありつけると思ってたのに、また干し肉生活かよ。まったく、ツイてねえな……」
 文句を言いながら、バティが荷物の中から保存食の袋を取りだして中を開けた。
「ちょっと待って、バティ」
 取り出した干し肉をあぶろうと火に近づけようとしたところで、オズが訝しげに辺りを見回してバティを引き留めた。
「何だよ、何かあったのか?」
 見れば、オーエンも同じように険しい表情で様子を窺っている。
「殺気がするな……モンスターか。火の気配か食い物の匂いを嗅ぎ付けて近寄ってきたのかもしれん」
 バティは顔をしかめて、取り出した食べ物を今一度荷物の中にしまい込んだ。
「おいおい、勘弁してくれよ。俺は腹減ってたまんねえんだぞ」
「仕方ないだろう。やり過ごすか、来たところを迎え撃つかするまで我慢するしかない」
「分かってるよ」
 注意深く辺りの様子を窺っていると、けたたましく茂みを揺さぶって、その奥から一匹のモンスターが猛烈な勢いで突進を仕掛けてきた。
「うおっ!?」
 モンスターは、驚いて飛び退いたバティのすぐわきを通り抜けると、置いてあった荷物にぶつかって、その中身を派手に周囲へとまき散らかした。
「アルミラージ……?」
 鮮やかな赤紫色の毛皮と一本の角ををもった、人間の子供くらいの大きさの巨大なウサギ。突撃してきたそのモンスターを見て、オズとバティの二人は目を丸くした。
「んな馬鹿な! こいつら、ネズミからも逃げ出すくらい臆病な動物だろ! なんで向こうから襲ってくんだよ!?」
「そんな事を言っている場合ではないだろう、早く離れろ。またアタックをかけられたいのか」
 バティが慌てて、まき散らかした荷物を振り落とそうとしているアルミラージの近くから逃げ出す。
「……っ!?」
 オズが頭上に何かの気配を感じてその場に身を伏せた。
 彼の背後で赤い何かが揺らめき立つ──
 直後、オズの頭上を真紅の炎が舞い、更に間髪入れずに茂みから鮮やかな紅色をした巨体が飛び出して、オズの上にのしかかろうとした。
「──っ!! はあ────っ!!」
 神経を研ぎ澄ませて、オズは右腕を突き出した。振り抜かれた拳が、彼自身よりも大きな巨体の真ん中に打ち付けられ、モンスターは後ろに弾き飛ばされる。すると、今度はその後ろから赤い体色のドラキーが3匹、羽をはためかせて姿を現した。
「うわ……」
 よく見渡してみると、先ほどオズがはじき飛ばしたのと同じモンスター──ラーバキングも更に3体いる。都合全部で8匹のモンスターの集団、いつの間にか3人はそれらに周囲を取り囲まれていた。
「これはさすがにやり過ごすどうこうという問題ではなくなってきたな」
 オーエンが腰の鞘から剣を抜く。そして、アルミラージが角に突き刺さっていた荷袋を振り落とし、後ろ足で周囲の荷物を蹴り飛ばしたところで、周囲のモンスター達は合わせて3人に襲いかかってきた。
 ラーバキングの大きな図体をオーエンの剣が薙ぎ、体当たりを書けてきたアルミラージをオズが脇に避けて蹴り飛ばす。
「ギラッ!!」
 責め立てるモンスターをあしらっていると、そこへメイジドラキーが唱えた呪文に応じて、炎が三人の周囲で渦巻いた。
「うわっ!」
「あちちっ!」
 直撃を受けて火傷を負ったオズがその場に転がり、バティが袖に火のついた服を脱ぎ捨てる。
 その間にメイジドラキーは今度はホイミを唱えて、横たわっていたアルミラージの傷を回復させた。
「おい何だよ、あれ! 傷を治すだなんて、そんなのアリかよ!」
 その妨害が厄介だと思ったオーエンが剣を振りかざすが、ドラキー達は高く飛び上がってそれを巧みにかわしてしまう。そして再びギラが唱えられ、ラーバキングの吐いた炎と合わさった激しい炎が辺りを舞う。
「くそー、ギラギラやかましいんだよ!」
 いきり立って叫び、バティはヒャドの呪文を唱えた。生み出された氷の矢に貫かれて、一匹が舞い落ちてくる。更にバティは、クロスボウが家散らかされた荷物の中で拾いやすそうな位置に落ちているのを目ざとく見つけると、そこに駆けつけて懐の矢筒に手を伸ばした。
「向こうが飛び道具を使うんなら、こっちも飛び道具で返してやりゃあいいんだろ!」
 クロスボウに矢をつがえ、バティは引き金を引いた。放たれた矢が一匹のドラキーの羽を僅かに掠めて、後方の茂みの中に飛び込んでいく。
「ちっ」
 舌打ちをしてバティが次の矢をつがえようとする。その時、ラーバキングが巨体をもたげてバティを押し潰しにかかってきた。
「げ……っ」
 不意を突かれどうにもできず、呆然と立ちつくすバティ。オーエンはそのバティとラーバキングの間に素早く割り込み、のしかかってくるラーバキングの胴体を一刀のもとに寸断した。
「ふんっ!」
 真っ二つになって崩れ落ちてくるラーバキングを、オーエンは力任せに脇へ押し退ける。
 自分のすぐ目の前に落ちてきた巨大な芋虫の残骸を、バティは青い顔をして見つめた。
「わ、悪ぃ……」
「構わん。身の回りの敵は私がカバーをする。その間に君は空の連中を始末してくれ」
 そう言ってオーエンは次のモンスターの元に駆け寄り、またも一撃でそれを切り捨てた。
「すげ……」
 妙に感心しながら、バティはクロスボウをドラキーに向け照準を合わせた。

 結局、臆病な本性を現したアルミラージと最後に残された一匹のメイジドラキーは逃げ出してしまったが、それ以外は割合短い時間で片付ける事ができた。
 バティとオーエンは、モンスターの残骸の始末をしたり、足下の草でまだちりちりとくすぶっている火を踏み消したりする傍らで、座り込んでいるオズの火傷の具合を診てやった。
「思った程酷くはないみたいだな。これなら痕に残る事もないだろう」
 オーエンは、オズの肩の傷口に膏薬を塗りつけ、包帯を巻いた。
「それにしてもアンタすごいな。俺達の仲間にも剣を使うヤツがいるけど、全然動きが違ってたぜ」
「……それは、フレイとかいう少年の事か」
 やや間を置いてから、珍しくオーエンがバティに尋ねかけてきた。
「そうそう、連れてかれたあいつらの兄ちゃんの方。……あれ、何で知ってんだ? 俺、名前まで言ってたっけ?」
「……あ、いや、色々とな。まあ、あまり気にしないでくれ」
 いやに歯切れの悪い言葉で、その場を取りなそうとするオーエン。しかしバティはさしてそれを気に留める様子はなく、軽く一つ鼻を鳴らしただけであった。
「ふうん。ま、とにかく大したもんだよな。とても一介の冒険者とは思えなかったぜ」
 散らばった荷物を拾い集めていたオーエンは、ふと手を止めて軽く目を伏せた。
「……そうだな」
 そして見当違いな方角を向いて、ひとり口に含めると、それきり黙り込んで後始末を再開した。
「なんだよ、アレ。折角、人が誉めてやってんのにさ」
 バティが不満げな顔をして足下の草を踏みにじる。
「あんまり誉めてるようにも聞こえなかったけどなあ」
 すっかり元気になった様子で、オズが茶々を入れた。
「誉めてんだよ」
「ふうん。でも、あんまり気の入った返事じゃなかったよね、最初からずっとそうだったけど。あんまり相手にされてないって感じ?」
「…………だから腹立つってんだよ」
 バティが軽くオズの頭をはたく。
「うーん……」
 はたかれた頭をさすり、オズは、バラバラの方を向き合っている二人の様子を不安そうに見つめた。

 

 後始末を済ませた後、襲われた場所では、さらにその匂いを嗅ぎ付けた魔物達に追撃を受けると判断した三人は、場所を変えて野営をし、さらに少しでも危険を避けるために、翌朝早くに出発をすることにした。
 そうして野営地から街道を更に突き進むと、昼前には、茂みの多い地域を抜けて、見渡す限りの大沼沢がその前に姿を現した。
「うっわ、こりゃ凄いな。本当にここは地上の景色なのかよ」
 沼地は猛烈な湿気と微かな沼気を放っており、そばに近寄るだけでむせ返りそうな状況であった。それはまさに読み物に出てくるような魔の住む世界さながらである。
「ねえ、ここを横切るの? なんか嫌だな……」
 オズは懸命に顔をしかめて、隣に立つバティの裾を引っ張った。バティは鬱陶しそうにして服を引っ張り、その手を振り解く。
「ここを突っ切ってもいいが、沼気に当てられても知らんぞ。それに、もし誰かが来ても身を隠す場所がない」
「じゃあどうするんだよ」
「決まっている、迂回をするぞ」
 オーエンが手を上げて指差した方角を、バティとオズが見やる。沼の周囲、沼に半分足を突っ込むような形で低木林が対岸まで広がっている。
「……さっきまでの森より、もっと道が悪そうだよ」
「おいおい。折角外に出たのに、また森に入るのかよ」
「危険を冒すのと、足場の悪さを我慢するのと、どちらがいい?」
 今度はオーエンは、小さな気泡を立てて泡立っている沼のへりを指差した。
「ねえ、バティ……」
 それに少し目をやってから、うんざりした様子で、オズがバティを見上げる。
「……仕方ねえな。回り道すりゃいいんだろ!」
 バティが渋々受け入れると、オーエンは満足そうに頷いた。その様子が気に食わなかったのか、バティは力任せに足下の土を蹴り飛ばした。

 それから大きく時間を費やして沼地の周囲を迂回し、湿地帯を抜けて少し開けた場所に出てきた時には、空に少し朱が差し始めてきていた。
「ぜぇ、ぜぇ……いい加減、休まないか?」
 バティが息せき切って、先頭を行くオーエンを呼び止めた。慣れない悪路を続けて歩いたことで、ひどく体力を消耗したらしい。バティよりは幾ばくか体力のあるオズも、彼のすぐ前で大きく肩を上下させて息を切らせていた。オーエンは二人の様子を窺い、続けて空を見上げて時間を推し測った。
「もう少し我慢してくれ。後少しで目的の遺跡だ。このまま往けば日が沈む前に辿り着ける」
「おい、マジかよ! もうこれ以上歩けねえって! ちょっと聞いてんのか!」
 一人さっさと歩いていってしまうオーエンの背中に、悲鳴じみた叫びを浴びせかける。
「しょうがないよ、もう少しだって言ってるんだし、頑張ろう。日が沈んだら嫌でも休憩できるんだしさ」
 勝手に座り込んでしまったバティの体を、オズが引っ張り上げる。しかし、オズが歩くように促しても、バティは足を動かさずそのまま居座りを始めた。
「んだよ。お前、やけにあいつに協力的じゃねえか。こっちの都合も聞かずに自分勝手に進めやがってるのによ」
 ふてくされた様子でバティが尋ねると、オズは不思議そうに目をしばたたかせた。
「え、だって、少しでも早くお姉ちゃん達を助けたいじゃないのさ。バティはそう思わないの?」
「俺だってあいつらを助けてやりたいとは思ってるけどよ……でも、あいつが信用できるヤツかどうかもわかんねえんだぞ。そんな頭っから信用していいのか?」
「だからって、ごねてたってどうにかなるものでもないじゃん。それに……」
「それに?」
 そこでオズははっとして、忙しなく首を横に振った。
「う、ううん、何でもない。でも、あの人の事は信用してもいいと思うな」
「なんだよ、お前まで隠し事か? まったく、どいつもこいつも……」
 慌てふためくオズの様子を見て、バティは不機嫌そうに腕を組んだ。
「さ、行こうよ。早くしないと、あの人見失っちゃうよ」
「分かってるよ。あー、めんど臭えな」
 オズに導かれて歩いていくと、少し行った所でオーエンが二人のことを待っていた。オーエンは二人の姿を見かけると、もたれかかっていた木から背を離して、足下の荷物を拾い上げた。
「思ったより早かったな。何を話していたんだ?」
 オーエンは駆け寄ってきたオズの頭に手をやって軽く彼の髪をかき回した。
「んー、秘密」
 首を横に振って明るくオズが言う。それにつられてオーエンの目元が少しほころんだ。
「……そうか」
 そしてオーエンは再び背中を向けて歩き始めた。
「見た見た? あの人、初めて笑ったよね。怖い人かなーって思ってたけど、優しくていい人そうじゃん」
「……お前、絶対懐柔されてっぞ」
 いやに陽気にはしゃぐオズの様子を見て、バティはやつれた顔で呟いた。

 再び森の中に入り、三人は疲れのたまり始めてきた体を奮い立たせて、道なき道を進んでいった。そうすると、オーエンの言うとおり、本格的に日が傾きかけようとしたところで、木々の向こう側に、小さく口を開く洞穴の入り口が見えてきた。
「マジかよ……。こんなところにこんな場所があったなんて、初めて知ったぜ」
「しっ……! 静かにしろ!」
 オーエンはバティの口を押さえて、遺跡の方を指差した。遺跡の傍らには、廃屋のようなひどく古びた小屋があり、そこから時折、鎧をまとった男達が出入りを繰り返しているのが見えた。
「あれは……もしかして、ラインハットの兵士か?」
「そのようだな。ふむ……目算は間違っていなかったか」
「……は? 何だって?」
「気にするな、独り言だ」
 少し後ろに下がってその場から距離を置いてから、バティとオーエンはうろつく男達に聞き取られないように小さく囁き合った。
「ま、ともかく。どうしてラインハットの兵士があんな場所にいるのかも気になるけど、まさか今からあの中に入っていこうって言うんじゃないだろうな」
「無論だ。交代の合間を衝いて侵入する。最悪の場合は、力ずくになるかも知れん」
「ばっ……!」
 バティは立ち上がって怒鳴りそうになるのを懸命に堪えて、地面に伏せた。
「……正気か? いくらアンタが腕が立つからって、相手は野獣とかその辺のゴロツキとかじゃない、訓練された兵士なんだぞ!」
「大丈夫だ、私を信用しろ。それに、あそこにいるのは正規の兵ではない。訓練もろくに受けていない、野盗まがいの連中だ」
 息巻くバティに対し、表情を一つも動かすことなくオーエンが答える。それでもバティは、あからさまに信じられない様子で目を細めた。
「何か言いたそうな顔をしているな」
「けっ。言ったところで、どうせマトモに答えちゃくれねえんだろ! だったら最初から聞きゃしねえよ。で、本当に何とかなるんだろうな?」
「ああ、問題ない。私は隙ができないか様子を見ているから、君達はいつでも動けるように体を休めておくといい」
 そう言って、オーエンは横手に回り、小屋と遺跡を見渡しやすい場所を取って、そこに身を伏せた。
「……ったく、何なんだよ、あの態度はよ」
 ふてくされて座り込み、バティはオーエンの潜む茂みを睨みつけた。
 それからしばらく様子を窺っていたが、遺跡の前では常に誰かしらが立っていて、オーエンの言う「隙」は僅かにできる気配も見えなかった。そうしているうちに日はいよいよ傾きだし、日の当たりにくい森の中は次第に真っ暗になっていった。
「おい、まだダメなのか?」
 痺れを切らし、焦りも覚えてきて、バティがオーエンのいる場所に静かに近付いていった。
「うむ……。交代の隙でもあれば、と思っていたのだが……どうも思う通りには行かないようだな」
「それじゃあ……」
「だが、大体の人数は掴めてきた。今、この場にいるのは、多く見積もっても精々五、六人程度だろう」
 オーエンが手袋の端を引き、その締まり具合を確認する。その仕草を見てバティは嫌な予感を覚え、彼の肩を引いた。
「まさか……」
「これ以上、ここで無駄に時間を潰すのは危険なだけで得策ではない。見張りを叩いて強行突破するぞ!」
 言うなり、オーエンは茂みから飛び出し、手近な場所を歩いていた兵士を一人殴り飛ばした。
「誰だっ!?」
 その事態に気付いた兵士二人が、すぐさま駆け寄ってきてオーエンの周囲を取り囲む。オーエンは腰の剣を素早く抜き放ち、威嚇するように大きく振り回した。オーエンの気迫に、二人は一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐさま剣を振りかざしてオーエンに斬りかかっていった。甲高い音をさせてオーエンが二人の攻撃をさばき、少し間合いを取って体勢を整える。
「馬ッ鹿野郎……! 本当に、一人で行っちまいやがってよ……!」
 はらはらと見守るバティの目の前では、剣を構えたままオーエンと二人が対峙し続けている。すると、騒ぎを聞きつけた別の兵士が一人、小屋の中から飛び出してくるのが見えた。
「チッ……!」
 バティは咄嗟に右手を前に出すと、早口で呪文を唱えて氷の矢を放った。氷の矢は、助太刀に向かおうとしていたその兵士の足下に突き刺さり、その動きを引き止めた。
「おい、オズ! お前も出て行って、あっちのヤローを叩いてこい!」
 荷物を置いた場所まで駆け戻り、バティはクロスボウを取り出しながらオズに命令した。
「えっ、でも……」
 バティが取り出したクロスボウに矢をつがえ、それを先程の兵士に向けて放って牽制する。
「いくら何でも、あいつ一人じゃ無茶だろ。俺が後ろから援護してやっから、心配すんな!」
「うん……わ、分かった」
 一つ頷いて、オズは森の中を駆け出し、小屋の後ろ側へと回り込んだ。それを見てバティは、足止めをするために、休むことなく次々と矢を放つ。一発、二発、三発……矢を続けて放ったところで、オズが向かい側の茂みから飛び出して、立ち往生する兵士の背中に強烈な蹴りを叩き込んだ。まともに不意打ちを受けた兵士が、大きく前によろめいて膝を突く。
「はあっ!」
 オズは強く足を踏み込むと、間髪入れずに兵士の頭に回し蹴りを入れた。被っていた兜が大きく吹き飛び、兵士は白目をむいてその場に崩れ落ちる。
 その間に、オーエンの方も向き合っていた二人を打ちのめしていた。完全に制圧した事を確認したバティが、荷物をまとめて茂みから出てきた。
「おい、すっげえな……。兜がこんなになっちまってるぜ」
 バティは転がっていた兜を拾い上げた。兜の左のこめかみの辺りには、オズの脚の太さに合わせた大きなくぼみが一本走っている。
「えっへへー、会心の一撃?」
 嘆息するバティを見て、オズが誇らしげに胸を張る。
「談笑している時間はない。他の奴が事態を嗅ぎ付ける前に、早く中に入るぞ」
 オーエンは剣を収めると、すぐさま遺跡の中へと駆けていった。慌ててバティとオズも彼の後を追って中に入っていった。

「くっ……くそ……!」
 三人の姿が遺跡の中に消えてから、最初に倒れる兵士達の中の一人が、身を捩って袋から小さな「何か」を取り出した。

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