第1章
1
その日のフレミーノの空は、清々しく晴れ渡っていた。
北東に大きな森を望み、町を出て半日ほど南に歩けば海に辿り着く。そんな場所にフレミーノはある。娯楽都市オラクルベリーの南にある半島の南端。地理的にはかなり不便な場所にある。人口もそう多くはない、至って静かな町である。
そのフレミーノの町で、今ひとつの騒動が起こっていた。
「搬送キャラバンが襲われた? オラクルベリーを出てすぐ、魔物達の手でか?」
「ああ、命からがらオラクルベリーに逃げ帰った奴がそう言ったらしい」
「それって、確かラインハット行きの馬車だろう? 中に宝がいっぱい積まれていたっていう」
「なんでも、荷物は全部奪われちまったって話だぞ」
十日程前にオラクルベリー近郊で起きた馬車襲撃事件は、この日までに同じ大陸にあるレヌール国中、そしてラインハット国中に知れ渡っていた。ただの襲撃なら、ここまでの騒ぎにはならなかっただろう。しかし、馬車を襲ったのは軍隊でも野党でも、ましてや野の獣でもなかった。
「どこまで本当だか知らんが、だとすると、これから魔物の動きには注意した方がよさそうだな」
「だな。ほら、ここの鳥獣園にゃ魔物もいるだろう?」
「置いといたら人足も遠のいちまうんじゃないか? いっそ、そうなる前に処分した方がいいと思うけどな」
馬車を襲ったのは「魔物」と呼ばれる、通常の動物とは異なる生態系を有した生き物の集団であったという。とはいえ、普段の魔物の習性は一般の野獣のそれとさして違いは見られない。精々、不注意に縄張りに足を踏み込んだ人間を襲いやすいというだけである。普通、魔物から人間を襲うことはない。しかし、魔物の体内には、別のあるシステムが記憶されている。
それが「凶暴化」のシステムである。
魔物がいつ、どのようにして凶暴化するのかは知られていない。ただ、魔物は百年から二百年の周期で、凶暴化したり再び大人しくなったりということを繰り返している。
三度前の凶暴化の際には、「光の教団」なるものの手が加えられたことは知られているが、それ以外の原因は不明である。かの教団がどのようにして凶暴化させたのかも分かっていない。
「…………」
村の男達が切羽詰まった様子で話し合っているその横を、一人の少女が道の先遠くから眺めていた。胸元に抱え込まれた袋から見るに、買い物帰りなのだろう。少女は暫く振り向きながらその様子を見つめてから、前を向いて歩き始めた。
「ちょっと、アネット、アネット!」
彼女は自分の名前を呼ばれて顔を動かした。
横道の向こうから彼女の方へ走ってくる少女が一人。教会で一緒に学んでいたことのある少女であるのは確かだが、あまり親しく付き合っていなかった少女であることも間違いではない。くせの強い赤毛のその少女は彼女の元に辿り着くと、意地悪に吊り上がった猫のような目を執拗に彼女の顔の側に近づけてきた。それに押されて、彼女は頭を少し後ろにそらせる。
「ちょっと、ちょっと。アネット、あんたも聞いたでしょ?」
少し興奮気味に話す少女。アネットは弓反りになった体制をどうにかしようと、一歩足を後ろに退いた。
「…………」
彼女は口をつぐんで、目の前の少女の問いかけを聞き流そうとした。喋る気にもならない。相手があまり話したくない人物でもあるし、話題もあまり振られたくない内容であるためもある。少女はその反応を予想していたのか、彼女の返答を待たずに話を続けた。
「魔物の集団が馬車を襲ったんですって? ああ、恐い。物騒な話よねえ、そう思わない?」
「…………」
予想していた通りである。アネットは押し黙ったまま、その場を離れようと一歩踏み出した。その行く先を、少女が先回りをして遮る。その際に、左の爪先が少し踏まれたような格好になる。たまたまなのか、それともわざとやっているのかは分からない。ただ、この少女に場合についてはどちらでもあり得ることだ。
「それでね、事の次第によっては手近な魔物達だけでも処分するかもしれないんですって。そうなると寂しくなるんでしょうね、鳥獣園は」
鳥獣園という言葉にあからさまに強いアクセントがかかる。アネットは少し身を揺らし、その場を離れようとした。その瞬間、彼女の爪先を踏んでいた足に力がこもる。左足に走る微かな痛みに、彼女はあごを引き顔をしかめた。再び顔を上げたときに見えた少女の顔は、にやにやとたちの悪い笑みに歪んでいた。
「あ、そういえばさあ、あんたん家、魔物なんか飼ってたわよねえ、確か」
つい今し方思い出しました、と言いたげな彼女の物言い。しかし、彼女には少女が初めからその事を言いに来たのだろうという見当はついていた。
「ああ、恐ろしい。もしかしたらその魔物も牙を剥いて襲ってくるんじゃないかしら? そんな恐ろしい生き物とひとつ屋根の下で過ごすだなんて、私には到底できないわね」
次第に刺のある言い方になってきた少女の言葉に、アネットの身体を揺する震えが次第に大きくなっていく。
「あーら、どうしたの? こんな陽気なのに寒くなってきたのかしら、魔物少女さん?」
アネットはそれでも何も言わず、再び顔を近づけてきた少女の足を振り払うと、その場から早足で離れていった。
「あらら、ずっと黙って何も話してくれないだなんて、愛想の悪い娘ね。所詮、魔物なんかと寝食を共にする人と私達一般人とじゃ、心の出来が違うようね、あはは」
アネットの背に浴びせかけられる嘲り笑い。アネットはその笑い声を振り切らんと駆け出していった。かなり強く踏みつけられていたのか、爪先がまだ微かに痛む。それでも彼女はひたすら走り続け、辿り着いた家の扉を開け放つと、飛び込むようにその中へと入り、後ろ手で力一杯扉を閉めた。ばたんという激しい音が家中に響く。
「ピュ……?」
それに反応したのか、家の奥から横笛を鳴らしたような高く可愛らしい音が響いた。
昼間だというのにほの暗い家の中を、人間の顔くらいの大きさの青い何かが、飛び跳ねながら彼女の元へとやってきた。
「あ、ピーター……」
彼女は抱えていた荷物を脇に置くと、代わりに足下の青い生き物を胸元に抱え込んだ。一般に「スライム」と呼ばれている生き物、先の話に出ていた魔物である。
「鳥獣園のみんなも、ピーターも……そんなことしないもんね……みんないい子だもんね……それなのに、それなのに……」
アネットは掠れ震える声でそこまで言うと、崩れるようにその場に腰を落とし、小さな声を上げて泣き始めた。
「あー、腹減った。なあ、アネット。なんか食うもんない、か……?」
そこへ一人の少年があか抜けた声で帰ってきた。
いつものように稽古を済ませ、いつものように右手で髪をかき回しながら帰ってきた家で見た風景は、いつもとは様子が異なっていた。
「お、おい、アネット! どうしたんだ、何かあったのか!?」
驚いた彼は、うずくまって震えている彼女の様子を見ようと、屈み込んでその方に手を乗せた。
「……あ……お、お兄、ちゃん……?」
しゃくりあげながらアネットは彼の方に顔を向けた。目の前に曝け出された涙に濡れる妹の顔に、彼は胸を打たれたような感触を覚える。彼女は兄から反応が返ってこないことを不思議に思い、首を横に傾けた。まだ目にしっかりとたまっている涙がはらりと零れ落ちる。
「どうしたの、お兄ちゃん……?」
妹の声で彼は我に返ると、先程のことを振り払おうと懸命に頭を左右に振った。
「あ、いや、すまん。それよりお前、なに泣いてたんだよ? なにかよくない事でもあったのか?」
「あ、それは……」
アネットは慌てて顔を俯け、彼から視線を逸らした。
「もしかして、こいつのことか?」
彼はアネットが抱え込んでいたピーターを指差した。
「…………」
じっと見つめて返事を待つが、彼女は俯いたまま口を開こうとしない。
彼はひとつ息を吐き出して、徐ろに立ち上がった。
「あー、ところでアネット。俺、腹減ってんだ。なんか食うもんない?」
たどたどしい彼の言葉。彼女は目元を拭って強張っていた表情を和らげると、ピーターを床に下ろして立ち上がった。
「お昼、お弁当作ってあげたでしょう?」
彼女は悪戯っぽく笑って、頭ひとつ高い位置にある兄の顔を覗き込んだ。彼は少し顔を赤らめ、大きく後ろに仰け反った。
「あれだけじゃ足りないっての。なあ、腹減った、なんか作ってくれ」
だだっ子のように腕を振って食べ物を要求する彼の仕草を見て、彼女は小さく吹き出した。
「はいはい。もう、なりは大きくても中身は子供のまんまなんだから、お兄ちゃんは」
「ほっとけ」
荷物を持ち上げ、笑いながら台所へと消えていく妹の背を、彼はなんとも気の抜けた表情で見送る。
「おーい、フレイ!」
その時、背後から誰かに呼ばれて彼はそちらを振り向いた。体格の良い、しかし筋肉よりは脂肪のつきの方が良さそうな、そんな少年が通りを挟んだ向こうから手を振って自分のことを呼んでいる。彼は通りに人通りがないことを確認してから、その少年の元へと駆け寄っていった。
「何だよ、ガンチャ。なんかあったのか?」
ガンチャと呼ばれた少年は、愛想の良さそうなその顔に笑みを浮かべた。
「なあ、フレイ。昨日もお前稽古に出てなかったよな。一体、どこで何をしていたんだ?」
「うっ……」
彼は言葉に詰まった。ガンチャとはもう長い付き合いである。それゆえに、お互いに相手の考えていることがよく分かる。今でも、稽古に出ていなかった理由を知っているのにこの物言いである。きっと裏に何か企みがあるのだろう。フレイはガンチャの首に腕を回し、抱え込んだ耳元に小声で囁き始めた。
「何をしてほしいんだ? 何でもするから、頼むからバラすなよ」
ガンチャはその体躯からは想像できないような軽快な身のこなしでフレイの腕から抜け出して、再び笑顔を見せた。
「いやあ、物わかりがいいねえ、ダンナ」
「で、何だよ?」
用件を尋ねたところで、だらしなく崩れていたガンチャの顔が引き締まった。そして今度はガンチャの方がフレイの顔を引き寄せて、彼の耳元で囁き始めた。
「なあ、フレイ。お前がいつもサボって行くところがあるだろ?」
「いつもじゃない、時々だ」
「どっちでもいいよ。今朝方俺の弟がそこに行ったっきり帰ってこないんだよ。でさ、フレイに見に行ってもらいたいんだよ。で、もし弟がいたら連れて帰ってきてくれないか」
「なんで俺が……」
「だって、俺こんな身体してるからさ、あの獣道を通り抜けるには無理があるだろ。そこで大親友のお前を頼ってきたんじゃないか」
「なにが大親友だよ、まったく。しょうがないな」
「本当か? 助かったぜ!」
「大切な弟だもんな。探して、見つけたら連れて戻るんだな?」
「なんなら二、三発くらいひっ叩いてきてもいいぞ」
「よそ様の息子にそんなことできるかよ」
フレイは渋々ガンチャの頼みを受け入れると、ガンチャの側を離れて家へと向かっていった。扉を閉め、家の中へとフレイが消えていくのを見送ってから、ガンチャは背後の方を振り向いた。
「これでいいんだろ?」
ガンチャが尋ねると、そこにいた影はひとつ頷いてからその場を離れていった。ガンチャはフレイの家をもう一度振り返ると、家へと続く道を辿り始めた。
軽い食事を作って、テーブルにそれを並べようとしていたアネットは、なにやら忙しそうに身支度をしている兄の姿を見てその手を止めた。
「どうしたの、お兄ちゃん。何かあったの?」
フレイはアネットが声を掛けたのに気付くと、身支度を中断して顔だけを彼女に向けた。
「ああ……うん。これからちょっと出かける。そう遅くはならないから」
「でも、食べてからじゃいけないの? お腹空いてたんでしょう?」
フレイはアネットが並べようとしている食べ物に目を向けた。美味しそうな見た目と香りに思わず喉が鳴る。
「……そう、だよ、な……食べてからでも、別にいいよな」
ころりと兄が態度を変えたことにアネットはひとつ忍び笑いをすると、停めていた配膳を再開させた。
「意地汚いのね、お兄ちゃんは」
遂にお腹まで鳴らして食事を要求していたフレイは顔を真っ赤にして反論した。
「う、うっさいなあ! 大体、腹空かせてる人間に目の前で食いもんちらつかせて『食べないか』って聞くのがいけないんだ!」
「最初に作ってくれって頼んだのはお兄ちゃんじゃない」
「うっ……」
妹の物言いに何か言葉を返そうとしたフレイだったが、あまりの空腹に辛抱たまらず、テーブルの椅子を引いてそこに腰を下ろした。
「そうやって最初から素直に『食べます』って言えばいいのに」
「ああ、もう! ぐちゃぐちゃうるさいんだよ、お前は! なんでもいいから早く食わせろよ、急いでんだからさ!」
「はいはい」
兄に急かされて手早くは以前を済ませるアネット。フレイは盛りつけが終わるとすぐさま食器の上の食事をかき込むように平らげた。
「ごちそうさま」
「うそ、もう? 折角人が作ったんだから、もうちょっとゆっくり味わって食べてよ」
「急いでるっつたろーが」
フレイはアネットからナプキンを受け取ってそれで口を拭くと、立ち上がって身支度の最終的な確認を始めた。
「晩飯までには帰るからな、ちゃんと作っておいてくれよ」
「あれだけ食べて、まだお夕飯も食べるの?」
「食べ盛りなんだよ! それより返事は!」
呆れたような言い方をするアネットに、ついついいきり立ってしまったフレイは大声でわめき立てた。
「はぁい」
むくれたような表情で返事をするアネット。フレイは少しでも早くその場を離れようと、まるで逃げるようにして家から飛び出した。
「あっ、ちょっと、お兄ちゃん!」
驚いたアネットは玄関へと駆け出したが、既に見渡しても兄の姿はどこにもなかった。
「ピ……?」
「さあ、何があったのかしら? 私にもさっぱり……」
ひとつ首を傾げたアネットは、足下のピーターを抱き上げ扉を閉めて、家の奥へと戻っていった。
町の周囲を遮る柵を跳び越え、フレイは木々に囲まれた道なき道を駆け抜けていく。足場は決してよくはないのだが、毎日のように通り抜けているだけあってさすがに慣れている。小さな岩を乗り越え、低木の間をすり抜け、およそ常人のものとも思えない早さで、険しい道をどんどん奥へと突き進んでいく。
(ま、確かにこんな道だからな。ガンチャの肥えた身体じゃ、こんな所は通れないよな。
俺もあと少し体格が良かったら通り抜けられるかどうか)
幼い頃はこの道もはるかに通りやすかったと思う。だが、彼も大きく成長し、僅かにあった道は延び放題になった草木によって淘汰され、もはやこうやって通り抜けるだけでも精一杯である。加えて近頃の魔物の凶暴化の騒動が起こっている現状だけに、今この道を通ろうなどと考えるのはよっぽど無謀な子供と彼くらいなものだろう。フレイ自身も、魔物騒動が起こった当初はこの道を使うことをためらったくらいである。
(魔物が凶暴化って……そんなことあるわけないよな。現にうちのピーターも、鳥獣園の連中も大人しいもんじゃないか。まったく、とんでもないデマだよな)
それでもフレイがこの道を今でも使い続けていられるのは、今頃家で妹と戯れているだろう、ピーターのことがあるからである。凶暴化の噂が随分浸透した今でも、あのスライムはこれまでと何ら変わらず二人に懐いている。魔物が凶暴化しているのが事実なら、ピーターにも何かしら少なからず影響があるはずだ。それでも変わらないでピーターが大人しくしているのは、凶暴化という噂自体が虚言であるのだろうと彼は考えることにしたのだ。
(けど、もし、本当に魔物が凶暴化したら……やっぱ、あのスラ坊も殺さなきゃならないのかな、俺達の手で)
フレイは進む足を止めてふとそんなことを考え始めた。そして先程見た涙に暮れる妹の顔が浮かび上がる。彼は大きく頭を振って、そんな考えを振り払った。
(何を考えてるんだ、俺は。そんなこと、あるわけないじゃないか。凶暴化なんて嘘に決まってる。絶対、このままの平穏な暮らしが続くに違いないさ)
彼は先程よりもさらに早足で森の奥へと進み始めた。日も徐々に暮れ始めている。あまり遅くなるとこの道は真っ暗になり、慣れている彼でも足下をすくわれて転落する可能性がある。そうすれば少しの怪我では済むまい。小さな子供を抱えるというのなら尚更のことである。
少し歩くとその視界が徐々に開け、少し開けた小高い丘の上へと抜け出した。日が大きく西に傾きかけているのが、競り立つ木々の向こう側から見て取れる。もはや少しも時間をかけることはできない。彼は急いで丘全体を見渡した。そしてすぐに丘の片隅で屈み込んでいる小さな一つの影を見つける。
「なんだ、そんな所にいたのか。兄ちゃんが心配してるぞ、早く……」
声を掛けてその場に近付こうとしたその時、フレイはその影が不自然な動きをしたのに気付くと、その場から急いで離れようと身を翻した。
「うわっ!」
その瞬間、彼のすぐ横を凄まじい勢いで何かが飛び抜けた。驚いた彼はバランスを崩し、近くの茂みの中へ飛び込むようにして倒れていった。
「い、いててて……何だ、今のは?」
どうにかして身を起こした彼の目の前に、爛々と輝く二つの目と大きく裂けた真っ赤な口が現れた。
「ドラキー!?」
フレイの頭上を、よく見知っているコウモリに似た魔物が飛んでいる。しかし、その目は今まで見たことがないほどに怪しい光を放っている。フレイは茂みの中から飛び出すと、獣道を転がるように駆け下りていった。そのすぐ後をドラキーが追いかける。体格の差に加えて空を飛んでいることもあって、ドラキーはすぐさまフレイの背中に追いつくと、先程と同じように彼の頭をかすめるようにして飛び越えていった。頭を押されたフレイは大きくよろめき、なだらかな坂道を描く獣道を、低木をなぎ倒しながら転げ落ちていった。彼は暫く坂を転がり続けた後、町の外壁である柵に激しく背中を打ち付けて動きを止めた。
「いてててて……」
ひどく痛む背中を押さえてフレイは起き上がった。ドラキーはそんな彼を嘲笑うかのような笑みを見せ、さらに彼を馬鹿にするようにぐるぐると上で旋回を始めた。それを見たフレイはすっかり頭に血が上ると、腰に携えてあった、本来は藪などを切り開くために用いる銅製の短剣を鞘から抜き出した。
「くっそー、この馬鹿コウモリ! いつまでも好き勝手できるとおもうんじゃないぞ! そんな所でぐるぐる回ってないでとっとと降りてこい! 叩っ斬ってやる!」
フレイははるか高くを飛んでいる魔物に向けて叫びかけた。それに応じるかのように、ドラキーは旋回を止め、彼の元へと真っ直ぐに飛び降りてきた。一瞬びくりと身体を震わせたが、それでも懸命に彼は手にした剣を振り回した。
金属を引っ掻くような耳障りな音が響き、辺りに赤いしぶきが飛び散る。
一瞬の後、フレイのいた所に真っ二つに切り裂かれたドラキーの身体が転げ落ちた。フレイハ剣についた赤黒い液体を振り払う。今まで一度も味わったことのない緊張と、恐怖。身体の震えが止まらないのがよく分かる。フレイは震えを堪えながら、恐る恐るドラキーの屍のある所へと歩み寄っていった。そして彼は足の爪先でそれを二、三回突付いてみる。当然動くはずもなく、ドラキーの屍は突き押されるがままに転がっていった。安心したフレイは大きく息を一つ吐き出すと、手にした銅の剣を腰の鞘に収めた。
その時、
ドオオオオオオン……!
「なっ、何だ!?」
突如、割れんばかりの轟音が辺りに響き、地面が大きく揺さぶられた。フレイはたまらずその場に尻餅をついて声を上げる。そして、先程まで薄暗かったはずの辺りの景色が、眩いばかりの光に照らし出される。立ち上がったフレイの目に、方々から火の手を上げるフレミーノの町並みが映し出された。
一体何が起こったのかよく分らないが、ともかく町の中が大変なことになっているらしい。フレイはいつものように柵を跳び越えて町の中に入ると、一番見晴らしのよい町の公園通りに向かって走りだした。
「あれは!」
裏道を抜けて大通りにさしかかったところでフレイが見たもの、それは飛び散る火の粉をかいくぐりながら、その大きな体を揺らし一人の少年を引き連れて走る親友の姿だった。彼は通りに飛び出すと、その親友に向かって声を掛けた。
「ガンチャ!」
フレイの声に気が付いた彼らが後ろを振り返る。フレイはガンチャの元へと駆け寄っていくと、改めてそこにいる二人の様子を見つめた。
「ガンチャ、これは一体どういう事だ!?」
そしてフレイはガンチャにつかみかかると、事の次第を問いただした。ガンチャの顔色がたちまち焦燥に彩られる。
「俺にもよく分らないよ。いきなりどこかからドーンって激しい音がして、そしたら魔物が……」
「俺が聞きたいのはそういう事じゃない! ここにいるのはなんだ、誰だ!? こいつはさっきお前が俺に探してくれって言ってたお前の弟じゃないのか、え!?」
今にも噛みつかんばかりの鋭い剣幕でガンチャを詰問するフレイ。そして彼はもう一度足下にいる少年にその鋭い視線を向けた。恐々たる眼差しで睨みつけられた少年は、びくりと身体を揺らして数歩後ろに退いた。
「ガンチャ、お前、俺をだましたのか? 俺に嘘をついたっていうのか? どうなんだよ、はっきり言えよ!」
激しい憤り。フレイは目の前の大きな顔を殴りつけたい気持ちを抑えつつ、ガンチャを詰問した。自ずと、ガンチャの服の胸元を握っている手に力がこもる。ガンチャは今にも泣き出しそうな顔を懸命に左右に振って答えた。
「お、俺だってこんな事したくなかったさ! け、けど、いきなりわけの分からん男が弟を捕まえて、『こいつを殺されたくなかったら言う通りにしろ』って言ってくるもんだからさ……悔しいけど、そいつにはてんで歯が立たなかったし……」
なおも言い訳を続けようとするガンチャの言葉が不意に途切れた。それと同時に、フレイの両手に強烈な衝撃が走る。
「……ガンチャ?」
いつのまにか、彼の目の前にあったはずの大きな顔は姿を消していた。そして、はるか遠くをガンチャの巨体が、まるでぼろ切れのように飛んでいくのが見えた。フレイの両手に残された彼の服の切れ端が、ただ情けなく熱風にあおられている。
暫く、何があったのか理解できずにフレイは立ちつくす。
そこへ、不意に頭上から影が差してきたのに気付いて、彼は急いでその場から駆け出していった。直後、激しい音と振動と共に、たくさんの瓦礫が辺り一帯に飛び散る。フレイは背後から無数にぶつかってくる礫の痛みに耐えながら、一目散に家に向けて駆けていった。
部屋の中央にしつらえてあるテーブルがなぎ倒され、その上に置かれていた食器がけたたましい音を立てて辺りに破片を散らす。皿に盛られていたスープが、染みとなって木製の床に広がっていく。
「な、何があったの……?」
何事かと思い台所から顔を出したアネットが、ダイニングのひどい有様を見て息を呑んだ。ひっくり返されたテーブル、粉々に砕けた食器や椅子の破片。それらの中央で不可解な動きをする青い生き物。
「…………ピー、ター……?」
アネットが震える声でその名を呼びかける。するとピーターは、いつもの動きからは想像もできないような素早さで彼女を振り返った。丸く大きな二つの目が怪しい光を放つ。
「きっ……!」
あまりの恐ろしさに、彼女は悲鳴を上げることすらままならなかった。
それと同時に強烈な轟音がし、家が崩れてしまうのではと思わされるほどに激しく揺れ始めた。バランスを崩してその場にへたり込んだアネットのすぐ頭上を、目にも止まらぬ速さで青い球体が飛び越えていく。そのすぐ後に、彼女の背後にある棚から食器の割れる大きな音が鳴り響いた。
すっかり腰を抜かしてしまったアネットは、壁にもたれかかりながら立ち上がると、恐る恐る後ろのキッチンを振り返ってみた。キッチンの入り口近くにある食器棚は無惨にも破壊され、辺り一帯には食器の欠片だけでなく、おそらくは棚の一部であっただろう木片までもが無数に散らばっていた。
そして、その向こうから這いずり出すようにピーターが姿を現した。窓の向こうから差し込んでくるオレンジ色のまぶしい光に照らし出され、ゆっくりと振り返ったピーターの目が、再び怪しく光り出す。
「ひっ……!」
アネットは今一度声にならない悲鳴を上げると、少しずつ壁伝いに後ろへと下がっていった。しかし、不意に背中に何かしらの感触が伝わると、それが強引に引き留められた。
「おっと、可愛いペットが目の前にいるっていうのに、一体どこに行くつもりなんだい、お嬢さん?」
彼女の背後から、大人の声とも子供の声とも判然のつかぬ、今までに一度も聞いたことのない声がした。そこで彼女は初めて、自分が背後から何者かに羽交い絞めにされていることを知った。
「だ、誰なの!? 勝手に人の家の中に入ってきて! イヤ、放して、放して!」
あまりの恐怖に混乱に陥ってしまったアネットは、その場から逃げ出そうと懸命に全身を揺さぶった。しかしそれで彼女の束縛が解けることはなく、長い金色の髪がただ虚しくなびくだけだった。そうしているうちに、ピーターはじりじりと彼女の側に近付いてきて、あと少し飛びかかるだけで届くところまでやってきていた。
「いやああああああっ!」
「ぅあちぃっ!」
ピーターがアネット目掛けて飛び跳ねた直後、アネットの張り裂けんばかりの悲鳴が響き、辺り一帯を真っ赤な光が包み込んだ。赤い光はピーターの全身を包み込むと、まるでその青い身体を押しつぶしにかかるように小さく丸まっていった。
束縛から逃れたアネットが、その場に力なく膝を突く。
光が収まった後、アネットは目の前の光景を見て愕然とした。水溜まりのように青い液体が床に広がっている。
「…………ピ……タ…………」
アネットが感情の消えた声を上げると、未だに信じられないといった様子で、目の前の液溜まりに向かって手を差し伸べた。彼女の指先が軽く触れると、青い液体はさらりと小さく波打った。
「おやおや、物分かりの悪いお嬢さんだねえ。あんたが殺しちゃったんだよ、その下等生物をね」
背後から先程耳元で囁かれた声がして、アネットは振り返った。
ダイニングの入り口付近で、人間の子供くらいの背丈の青い全身をした生き物が、先の尖った青い尻尾を揺らしている。今までたくさんの魔物を見てきた彼女も見たことのないような生き物、例えてあげるなら、それは物語や昔話に出てくるような小悪魔のようだった。
「私、何もしてない! 返して、お願いだから、ピーターを返して!」
懸命に首を左右に振って叫ぶアネット。小悪魔はまるで人間の取る仕草のように肩をすくめて彼女を嘲笑った。
「やれやれ、本当に物分かりの悪いお嬢さんだ。いくらこの俺様が有能だからといって、殺しちまったものを甦らせろなんてのはできない相談だな。ま、もっとも、仮にできたとしても、そんな下らないやつを甦らせる気なんて、更々ないがね」
「下らない……?」
アネットの身体が小さくひとつ揺らいだ。
「下らない……? それって……ピーターのこと……!?」
震えながら上げられるアネットの声に怒気がこもる。小悪魔は手にした大きなフォークを持ち上げ、軽く首を横に振った。
「ああ、下らないねえ。モンスターのくせに人間なんぞに尻尾なんぞ振ってさ。それに、そもそもスライムのような下等生物を下らないって言って、何が悪いんだい?」
はるか高い位置から見下すような小悪魔の言葉。顔を俯けたアネットの全身が怒りにうち震える。
「大体、人間とモンスターが共存しようなんて考えること自体が馬鹿なのさ。そんなのははなっから無理だっての。おっと、ついお喋りが過ぎたな」
小悪魔が一歩、アネットに向けて足を差し出した。それにはじかれるようにして、アネットが顔を上げる。
「な、何? どうするつもり?」
「それを言ってどうするのさ? ともかく、こんな面倒なことを仕掛けたんだから、何が何でもあんたを連れてかなきゃなんないんだよ!」
さらに一歩、また一歩と小悪魔がアネットに近付いていく。
「い、いや……来ないで……」
逃げなければいけないと分かっているのに、身体が言うことを聞かない。
「来ないでーっ!」
再び上がるアネットの悲鳴。すると、先程とは違う、青白い光が部屋中を満たした。
「な、なんだ、こいつは……っ! ウゲッ……ギャアーッ……!」
耳をつんざくような音とまばゆい光に紛れて、小悪魔の叫び声が上がる。光はそれからも暫く部屋に充満し、やがて不意に、何事もなかったかのように跡形もなく消え去った。部屋に残ったのは、呆然と座り込むアネットただ一人。
「こ、今度は、一体……?」
再び繰り返された不思議な現象に、すっかり言葉を失うアネット。時々家の外から響いてくる轟音が、やけに遠くに聞こえる。
それからアネットは突然立ち上がり、自分のすぐ後ろを振り返った。
「…………ピーター…………」
そこにはやはり青い液溜まりが、先程までと変わらない有様で広がっていた。本当にこれは自分の手でやってしまったことなのだろうか。達続ける気力をなくしたアネットは、再びその場に腰を落とした。
「アネット!」
その時、玄関のドアを蹴り破る音と、そちらから威勢のいい声が聞こえてきた。
フレイである。
彼は乱暴に家の中に駆け上がると、台所のある方に向かって走りだした。いつもなら、この時間帯はアネットは台所にいるはずだからである。
そしてその途中、ダイニングの中央で力なく座り込む彼女の姿を見つける。
「アネット、大丈夫か!?」
精気の感じられない妹の顔つきに、激しい不安を覚えたフレイは彼女の元へと駆け寄った。そして、その先に広がる青い液溜まりに目が向けられる。
「まさか……」
フレイはその元が何であったのか素早く勘付いた。しかし、それを確認する前に、家の中が激しい揺れに見舞われた。
「こうしちゃいられない! アネット、早くここから逃げるぞ!」
彼はアネットの体を引き上げようとその手を取って引っ張った。しかし、アネットは立ち上がる素振りを見せない。
「おい、アネット!」
今一度、彼女に叫びかけてフレイは手を引っ張った。それでもアネットは立ち上がろうとしない。再び、轟音に乗せて家が大きく揺れる。フレイはもどかしさを覚えつつ、アネットの傍らにしゃがみこんで、彼女に面と向かって叫びかけた。
「アネット! 辛いのは分かる! けど、こんな所でじっとしてたら死んじまうかもしれないんだぞ! だから、とにかく今は逃げることを考え……」
「…………分かってる」
フレイの叫びを遮って、アネットはゆらりと立ち上がった。フレイはそのアネットの手を取って、家の出口に向かって駆け出した。後に着いてくるアネットの足取りが非常に重い。フレイは妹の動きの悪さに苛立ちを覚えながらも、家の外に飛び出して大通りを町の外に向かって駆けていこうとした。
ドォン……!
「うわっ!」
その時、激しい轟音と共に辺りが大きく揺れた。二人はその揺れに足を取られ、あえなくその場に転倒した。
「あいてて……」
フレイは転んだ拍子にすりむいてしまった膝を押さえて立ち上がった。その彼の目の前に、鋭い眼光を放つ魔物が現れる。
彼の三倍近くはありそうな巨体に、それとあまりに不釣り合いに未発達な四肢の獣……この町の鳥獣園にいる魔物の中でも指折り数えるほどの猛獣、マムーである。
そのマムーが凄まじい咆哮を上げてその短い前足を振り上げた。フレイの目に、マムーの直前で倒れているアネットの姿が映る。
「アネット!」
フレイは叫んで彼女の元に駆け込み、その体を抱えて逃げ出した。その直後にマムーの足が振り下ろされる。
激しい衝撃、飛び散る瓦礫。
二人は再びその場に倒れ込んだ。マムーとの距離はほどなく近い。その巨体から見れば半歩とないくらいだ。
「くっそー、もうこうなりゃヤケっぱちだ!」
フレイは投げ遣りな叫びを上げると、腰の短剣を抜き放った。そして彼が武器を構えようとした時、彼の腕に重みが伝わった。
「アネット!」
彼の右腕に懸命にしがみつく妹の姿。フレイは彼女に怒りの声を突き付けた。しかしアネットは強情にも彼の腕にしがみついたまま離れようとしない。
「駄目……! 魔物さんを、いじめたら……!」
泣き叫ぶようなアネットの声。彼女は必死になって目の前の魔物に手を挙げようとするフレイを止めようとしていた。フレイはそんな彼女をなんとかして引きはがそうとする。
「こんな時に何言ってんだよ! こっちがやらなきゃやられちまうかもしれないんだぞ! お前はそれでもいいのか!?」
妹を説得しようと試みるフレイの耳に、大きなうなり声が聞こえた。フレイは慌てて目の前の妹の体を抱きかかえ、全身のばねをできるかぎり駆使し前に向かって大きく跳躍した。再び轟音が鳴り響き、辺りの景色が大きく揺れる。恐らくはマムーの前脚が二人のいた場所に再び振り下ろされたのだろう。二人は地面をもんどりうちながら、炎にあぶられ煙を上げている民家の茂みの中に突っ込んでいった。意識が一瞬大きく遠のく。フレイは気絶しそうになるのを何とかこらえて、茂みの中から立ち上がった。視界の先に、標的を見失って辺りを見回しているマムーの姿がある。運良く狂った猛獣との距離は随分とできていた。フレイは一つ舌打ちをして剣を鞘に収めると、茂みの中で虚ろに横たわるアネットを抱き上げた。
「分かったよ、とにかくここは逃げりゃいいんだろ? ったく、あんまり俺の足ばっか引っ張るんじゃないよ!」
文句を言いながら、彼はアネットを背負って町の外へと駆け出していった。
焼け野原と化したフレミーノの町中を、鎧を纏ったトカゲのような生き物達が闊歩している。トカゲ人間達は、町中に無数に転がる屍を一つ一つ、足で蹴り飛ばしながらその様子を確認していく。
「くそっ、こいつも違う」
その中の一匹が、太った若い男のものとおぼしき死骸を踏みにじり、次なる死骸へと目を向けた。
そこへ、夜の闇の色のような薄暗いローブを纏った男が現れる。
「どうですか、見つかりましたか?」
声を掛けられたトカゲ人間は、振り向いてその男に最敬礼をした。
「これはゲマ様! いえ、只今我々が必死になって探しておりますが、未だに発見されておりません!」
ゲマと呼ばれた男はトカゲ人間の報告を受けて、一つ低くうなり声を上げた。
「ふーむ……これだけ探して無いというのでしたら、ここにはいないのかもしれませんね。まあいいでしょう、私は帰ることにしますよ。よしんば発見されたなら、ジャミとゴンズがいるからその二人に報告するように皆に伝えておきなさい」
「はっ、分かりました!」
もう一度ゲマに向けて最敬礼をするトカゲ人間。
ゲマはそれを確認するまでもなく、小さく呪文を唱えてその場から跡形もなく姿を消した。
濛々と立ちこめる真っ黒い煙が、漆黒の夜闇に吸い込まれるようにしてフレミーノの町から立ち上っては消えていく。小高い丘の上からはその様子がよく見て取れる。育ちのよくない芝地の上に座り込んで、アネットは死人のような眼差しをその景色に投げかけていた。
少しして、近くの茂みの中からたくさんの枯枝を抱えたフレイが姿を現した。フレイは枝を地面に落とすと、ほくちを取り出してそれに火をつけ始めた。
「参ったな。この辺りをちょっと探してみたけど、町の人間らしき姿は見当たらなかったよ。もしかすると、なんとか逃げおおせたのは俺達だけかもしれないな」
ほくちを打ちながら、明るい声で話しかけるフレイ。アネットはそんな彼の方を見向きもせず、ただ燃えゆくフレミーノの町を見つめている。彼女の様子が気がかりで仕方のなかった彼は、火をつけ終わると彼女の元に近付いていった。
「なあ、アネット……」
「私も……あのまま町の中に残っていた方がよかった……」
「なっ……!」
アネットの言葉に衝撃を受けたフレイは、いきり立って腰を上げた。
「おい、アネット! 何を言い出すんだ!」
逆上し息巻くフレイ。アネットはようやく彼の方に顔を向けた。その顔が涙でぐっしょりと濡れている。
「お兄ちゃんに、お兄ちゃんに私の気持ちなんて分かるわけないわよ! 私がどんな思いをしたかなんて……!」
「ピーターのことか!? だったらあれは仕方のないこと……」
「違うのよ!」
ヒステリックな叫びを上げるアネット。その剣幕に、フレイは思わず一歩身を引いた。アネットは真っ赤になった双眸から再び大量の涙をこぼし始めた。そして彼女の頭が力なく垂れ下がる。
「私、が……私が……したのよ……」
アネットの言葉は掠れてほとんど何も聞き取れなかった。フレイは彼女の言葉がよく聞こえるように、屈み込んで顔を寄せた。
「何だって? 何て言ったんだ?」
「私が……ピーターを殺したの……」
「なんだって!?」
驚いたフレイが、思わず顔を跳ね上げる。
「どういう事なんだ!? まさか、お前が好きこのんでそんなことするわけないだろう? 詳しく話してくれよ!」
フレイに促されるまま、アネットはダイニングで起きた一件をたどたどしく彼に話した。にわかには信じがたい話だったが、彼はどうにかそれを飲み込むことにした。
「しかし、だな……そりゃ、しかたのないことじゃないのか?」
「……でも、私があの子を殺したことには違いない」
「第一、それが本当にお前の力かどうかだって怪しいもんじゃないか。お前はそんなくそ生意気な奴の言うことを鵜呑みにする気か?」
「だけど……」
「あー、もう!」
苛立ちを募らせたフレイは、髪を掻きむしるとそっぽを向いてその場であぐらをかいた。
「もういい! お前の好きにしたらいいさ! その代わり、もしお前が『死ぬ』なんて言ったら、そん時は俺もお前の後を追っかけるからな!」
「お兄ちゃん……それ、ずるいよ……」
アネットは一つしゃくり上げると、ふてくされたように口を尖らせた。
「ずるくない。お前がいなくなったら、俺は一人でどうやって生きていけばいいんだよ。いいか、お前の命は俺の命なんだからな。軽々しく扱うんじゃないぞ!」
「…………うん……」
アネットはいささか納得がいかないなりにも、仕方なく兄の言葉に頷いた。
「さて、お前も納得してくれたことだし……」
「納得してない」
「……してくれたことだし、これからのことを考えることにしよう。でだな、とりあえず、オラクルベリーに行こうかと思うんだ」
「オラクルベリー?」
「ああ。ここから一番近い町だし、それに世界でも指折り数えるくらいの大都市だ。その……大勢人が集まるだけに、今回のことについてももしかしたら情報が聞けるかもしれないし、な……」
フレイはアネットの様子をうかがいながらおずおずと話を続けた。アネットは気持ちを揺らした風には見えず、兄の提案を首を小さく縦に振って受け入れた。
「まあそんなに気にするなって。終わったことばっか考えてても仕方ないだろ? 今日のことはすっぱり忘れて、明日からのことを考えようぜ」
「気楽ね、お兄ちゃんは」
「そりゃあ、これだけが俺の取り柄だからな。さあ、そうと決まったら、明日に備えてゆっくり寝な」
「うん……」
アネットは頷くと、草の上に身体を横たえた。
「お兄ちゃん……」
暫くして、たき火の様子を見ていたフレイに、アネットが声を掛けた。
「何だ、アネット。寝てなかったのか?」
「ううん、ちょっと寝てた。ただ、言いたいことがあったから……」
「言いたいこと? 何だ?」
「あのね、お兄ちゃん…………ごめんね」
フレイは顔を真っ赤に染めて頬を掻いた。
「き、気にすんなって。別に俺は全然平気だからさ。ほら、早く寝ろって。じゃないと、明日がきつくなるぞ」
「うん」
か細く頷くアネットの声を境に再びその場が静まり返る。小さな木片に火を移し換えると、たき火の火を消して彼もその場に寝転がった。
「……もしかしたら、雨が降るかもな……」
先程まで見えていたたくさんの星は、いつの間にやら厚い雲に覆われ尽くしていた。
BEFORE | NEXT |
[ BACK ]