第2章

 サンタローズまでの道のりは比較的順調に進んだ。足止めを食う懸念のあった橋も無難に通り越せ、特に危険らしい危険にも遭遇しなかった。さらに、バティはアネットの歩みのテンポに引きずられそうだと踏んでやや多めに食料を買い付けたのだが、むしろアネットの方が二人を先導する形で足早に歩いていたので、遅くなるどころか予定より半日も早く村に辿り着いてしまった。
 サンタローズの村の象徴たる、村の入り口にあるリラの樹のふもとに真っ先に辿り着いたアネットは、その近くで槍を持ち鎧に身を包んで立っている男に声をかけた。
「こんにちは。おたずねしたいんですが、ここはサンタローズの村ですか?」
「ああ、そうだよ」
「私達、この村に少し用事があって来たんですが、入れていただけますでしょうか?」
 アネットが尋ねると、男は警戒するような目つきでまじまじと彼女の姿を眺めだした。そこへ、遅れてきた二人がゆっくりと追いついてくる。
「ぜぇ、ぜぇ、やっと追いついた……おい、あんたその細っこい身体のどこにそんな体力があるってんだよ!?」
 まず最初に辿り着いたバティが、息も絶え絶えにアネットに尋ねる。どうしてそんなことを言われるのだろう。アネットが小首を傾げていると、そこにフレイがやってきた。今にも倒れそうなバティに対し、わざと距離を置いて歩いていたフレイに疲れた様子はない。
「こいつは体力だけは人一倍あるからな。強引に着いていこうとしたところで、バテるだけだぞ」
「そ、そういうことは早く言ってくれよ」
 なかなか上がった息を抑えられず、バティは近くの木の幹に手をつけた。その向こうからアネットが不満そうな顔をフレイに向けている。
「なんだ、面白くなさそうな顔をして」
「だって、さっきのお兄ちゃんの言い方、あれじゃあ私が体力しか取り柄のない人間に聞こえるじゃない」
 アネットが口をとがらせ、ぷいっとそっぽを向いた。
「別にそんなこと言ってないじゃないか。勝手に変な解釈するなよ」
「ふん、どうせ私は体力馬鹿ですよ」
「あー、ったく! どうしてそんなところでへそ曲げるんだよ!」
 フレイが頭に手をやってわめき立てる。その間に立ち直ったバティが鎧の男に声をかけた。
「なあ。あんた、随分物々しい格好だな。いったい、こんな所で何してるんだ?」
「見ての通り、番だよ。怪しい奴が来ないように見張ってるんだ」
「んなこと言ってもなあ……」
 バティは腕を組んで周囲を見渡した。ふいっと、さえずりと共に小さな鳥が彼らの頭上を通り抜けていく。
 四方を閉ざされたサンタローズの村。北にそびえる切り立った崖は登るにも下りるにも無理がある。一方南側の森に対しては開かれており、今彼らが目の前にしている柵も、果たして何のためにあるのだか、さっぱり分からないくらいである。
 男もそれを理解しているらしく、ごつごつとした顔に苦笑いを浮かべた。
「まあ、こんなところに突っ立っていたところで入ってくるもんは入ってくるだろうし、第一正面からでも集団で押しかけられたら、一人でどうかできるとも思えんがね。まあ、気休めってところだ。こうして誰かが突っ立っていないとみんなが不安になるからね」
「ふうん」
 フレイとバティが揃って鼻を鳴らす。
「それで、俺達は入れてもらえるんですか?」
 フレイが尋ねると、男は再び三人を凝視した。そしてしばらく黙考していたようだが、やがて男はおもむろに首を縦に振った。
「ああ、いいだろう。さあ、入るがいい」
「どうもすみません。じゃあ行こうか」
「おい、ちょっと待てよ! 今回の主導者は俺だぞ! リーダーを差し置いて勝手に行くなよ!」
 男に礼を言ってさっさと入っていくフレイに文句を言って、バティが彼を追いかける。
 アネットはその場から動かずに、そんな二人を見送っていた。
「二人とも行っちゃったようだが、行かなくてもいいのかい?」
 アネットが小さく頭を振る。
「いいえ。ただ、聞きたいことがあったので」
「聞きたいこと?」
「この村で何か危険なことでもあったんですか?」
 不意に男の表情が険しくなる。警戒というよりは、何かを憂慮しているような顔つきだ。
「……実は、少し前に村の中に化け物が入ってきてね、それでみんなひどい目に遭ったんだよ。話によるとそいつは人間に化けて村の中に忍び込んだそうでね」
 男の話を聞いてアネットはたまらず顔をしかめた。
「化け物……魔物……ですか?」
「いいや、多分違うだろう。少なくとも村の者は誰一人として見たことのない姿をしていたからね。まあ、ともかくそういうわけだから、こうしてここで番をしているのだよ。とはいえ、普通に考えると滅多にないことだろうがね」
「そうだったんですか。どうもすみません、変なことを聞いてしまって」
「いや、いいんだよ。これまでに何度も聞かれたからね。ほら、早く二人を追いかけな」
「はい」
 アネットは男に頭を下げて、先に村に入った二人を追いかけるように中へと駆けていった。
 魔物の仕業ではない、そう知ってほっとした反面、さらに気になる話題が持ち上がってしまった。
(その化け物がどうなったかとは何も言ってなかった……どこかで出会わなければいいんだけど)
 考え事をしながら走るアネットの前に小さな川が現れる。そしてその川にかかる橋の手前で、フレイがアネットのやってくるのを待っていた。
 フレイはアネットの姿に気付くと、彼女に向けて大きく手を振った。
「おーい、何やってたんだよ?」
「え? ううん、何も」
 アネットが誤魔化すように首を振って答えると、フレイはなんだか面白くなさそうに顔を歪めた。
「……どうしたの、お兄ちゃん? 変な顔して」
「なんでもない」
 フレイはまだ渋い顔をしたまま、古びた木製の橋を渡っていった。アネットは何度かまばたきをしてから、遠ざかりかける兄の背中にくっついていった。
 橋を越え、道なりに左手に曲がると、その先に巨大な山肌に埋め込まれるようにして建てられた教会が見えた。教会の規模は、小さな村にしてはそれなりに大きく、聖堂とは別に建物が一つある。そこには石碑が一つ、厳重に安置されている。その石碑には、古えの救世の王の言葉が刻まれているという。
 何故こんな辺境の村にそんな石碑があるのか。村の人の話によると、この村こそがその救世の王のゆかりの地だということだそうである。しかし、現在のサンタローズの村民は古くからこの村に根付いているものではなく、すべての者が救世の王の時代よりはるか後に他の地から移住してきた者達を祖としているので、その証言にはいささか確実性に欠けるものがある。ただ、他に有力な説も無いので、現在のところは村人の話を真実とすることで決着している。
 教会の前でさらに左手に向かって道を曲がるとすぐ、人の背の高さほどの小さな段差を下る階段に辿り着いた。サンタローズの村はやや急峻な斜面を二段に切り拓いた形になっており、その拓いた段地に建物が建てられている。ほとんどの建物は上の段にあるが、村長の家などは下の段に建てられている。そして、教会の前の階段を下りてすぐ隣にある建物が、その村長の家である。その家の前で、バティがフレイ達二人が来るのを今か今かと待ちわびていた。
「遅いぞ」
「悪い悪い。アネットがちっとも来ないもんだからさ。ところで、村長は何だって?」
「ああ。向こう一ヶ月、村に入った連中を見たところによると、それらしい奴はいなかったそうだ。もしかすると、村に来る前に何かがあったのかもしれないな」
「そうか」
「まあ、だからといって洞窟の中が安全だ、とも言えないがな。村長の話じゃ、中には昔から棲んでるモンスターがいるってことらしいからな」
「ふうん」
「だから、護衛の方、しっかりと頼むぞ」
「他人の身まで守れるか、自信無いぞ」
「お、おいおい」
 二人がそうして話をしている間に、アネットも階段をゆっくりと下りてやってきた。合流した三人は、早速洞窟に入るために、川の流れる向きに逆らって歩き出す。洞窟までの経路に道などといったものは無く、三人は人の高さ近くはあるような茂みの中を掻き分けながら、少しずつ前へと進んでいった。

 

 やがて辿り着いた洞窟の入り口は、川さえ邪魔をしていなければ十人は一度に入れそうなほど広かった。地面はかなりぬかるんでおり、踏みつけるたびに泥から水が染み出してくる。先程までの背の高い草は姿を消していたが、代わりに、今彼らの周囲にはたくさんの葦が生えている。
 そのあたりはまったく気にかけずに中に入っていく二人と、それとは対照的に、できるだけ汚れないように足元に細心の注意を払ってそろそろと一歩ずつ踏み出しながら前に進むアネット。
 全員が洞窟の中に入ったところで、バティは袋から松明を取り出そうとした。それをフレイが差し止める。
「……なんだよ?」
「いや、これだけ明るかったら、別に灯りはいらないんじゃないかと思ったんだが。それにここには魔物が棲息してるんだろ? だったら、下手に明かりをつけるとそれに寄って来るんじゃないか? 余分な戦いは御免だぞ」
「分かったよ」
 取り出しかけた松明を袋にしまい直し、バティは二人を先導する形で、洞窟の中を奥に向かって進み始めた。洞窟内の空気は、まだかなり冷たい川の水に冷やされ、ひんやりと三人を包み込む。少し歩いたところで、アネットが小さく身を震わせた。
「どうした、アネット。寒いのか?」
 それに気付いたフレイが心配そうに声をかける。
「ううん、平気、これくらいなら」
 アネットは首を横に振って、羽織っていたケープの端を握り締めた。
「そうか。寒くなったら構わず言えよ」
「うん」
 洞窟の中を流れる川は次第に幅を広げ、村に入るときには勢いをつけて飛べは飛び越えられてしまいそうな狭さだったものが、今では向こう岸を見るのも難しい。水勢もかなりあり、うっかり足を踏み入れてしまえば呑み込まれてしまいそうである。
 その川を右手に見ながら歩いていくと、やがて突き当たりに辿り着いた。そこを川とは反対、左側に曲がって、そこに開いた横穴に、三人は少し前屈みになりながら入っていく。狭い横穴を十数歩進むと、横穴は別の広い空間に突き抜けていた。その広間に抜け出すと、先程までの冷たい空気とは打って変わって暖かな空気に満たされていた。
「ふう、よかった。あのままずっと寒い中を進んでいくもんだと思ってたよ」
 最初に広間に入ったフレイが安堵のため息を漏らす。フレイは広間一帯を見渡し、危険そうなものが何も無いことを確認してから、穴の向こうの二人に手招きをした。それに従ってまずバティが、そしてアネットが広間の中にやってくる。
「随分広い所に出てきたわね」
「そうだな。それに不思議と明るい……おっ、あそこに階段があるぞ」
「……階段?」
 おかしなことを聞いたもんだと、眉根をひそめ尋ねるバティ。だが、フレイはさも当たり前のように頷いた。
「ああ。ほら、そこにあるぞ」
 そしてフレイは先程見つけた階段を指差した。
 確かに、広間の反対側の壁際に下り階段らしきものがある。バティはその場まで歩いていって、その階段の様子を確認した。階段は長い間使われた様子はなく、一段一段が擦り切れて丸くなっている。ともすれば斜面と見間違えても不思議ではないが、明らかに段差らしきものは見える。
「なんだ、何かあったのか?」
 そこへやって来たフレイが尋ねかける。
「あのな、階段があるってことはだな、この洞窟は自然のままじゃないってことだよ」
「自然のままじゃないって……でも、宝物を隠した人がいるなら、その人がこの洞窟に出入りしたってことになるから、それは当然のことじゃないの?」
「ものにもよるが普通ただ一回入って出るだけなら、こんな階段をいちいち造ってやる必要なんかないだろう? だから、この洞窟は今はともかく、以前はそれなりに頻繁に利用されてたってことになるんだよ」
「ふうん」
 バティがあれこれと説明するが、二人は納得できずただ頷くばかり。そんな二人の反応を見て、説明することを諦めたバティは、階段を一歩踏み出した。
「もういい、説明してるだけ馬鹿馬鹿しい。行くぞ。足元が滑りやすそうだから気を付けろよ……おぉっ!?」
 二人に注意を促して階段を下りようとしたバティだったが、丸くなった段差で早速自分が足を滑らせ、階段を一直線に下に向かって転げ落ちていった。二人は穴の奥へ消えていくバティを暫く呆然と眺め、お互いに顔を見合わせた。
「気を付けろとか言っておいて、自分で転んでりゃ世話無いよな」
 フレイは肩をすくめ、慎重に階段を下りていこうとした。
 その時、
「フッ、フレイ! 早く来てくれ! 頼む!」
 穴の奥から、切羽詰ったバティの叫び声がした。それを聞いたフレイは、ゆっくり降りていくのをやめ、坂道を滑り降りていくかのように階段を下りていった。
「何だ! 何があった……うわっ!」
 キキキィッ……!
 穴の下に下りてきたフレイの目の前を、何かがひらりと横切っていった。フレイは咄嗟に腰の剣に手を添えて、辺りの様子を見渡した。
 やや薄暗い洞窟の中を、真っ赤な花びらのようなとさかと極端に細く長く伸びたくちばしをもった鳥が飛び回っている。花カワセミの群れである。
 花カワセミたちは、群れの中に飛び込んできたバティに群がり、彼の周囲を飛び回りながら何度もその全身をつつき回している。一羽や二羽くらいならばまだしも、軽く十数羽は群がっているので、バティは身動きひとつ取ることすらままならない。
 フレイは腰の鞘から剣を抜くと、いきり立つ群れの中へと斬りかかっていった。攻撃を受けた一羽が、青い羽根を散らしてその場に墜落する。花カワセミたちはフレイの存在に気付くと、攻撃の矛先をバティから彼へと向けた。フレイの頭上を飛び回りながら、一羽、また一羽と、鋭いくちばしを突き出しながら彼の元へと下りてくる。フレイはそれを避けながら、彼に近付く群れを確実に一羽ずつ切り捨てていく。
 やがて数も半分近くになり、攻撃の手が少しずつ収まりかけてくると、フレイは上で飛び回っている残りの群れに斬りかかろうとした。
「待って!」
 それをアネットの声が引き留める。フレイが苛立ちを露わにして振り返った。
「なんだよ、アネット!」
「お願い、やめてあげて!」
「あのなあ、そんなこと言ってる場合じゃ……」
 彼の剣幕に負けじと突き付けられる、睨みつけるようなアネットの視線。フレイは仕方なく剣を鞘にしまうと、二人の手を取って駆け出した。
「分かったよ! 逃げりゃいいんだろ! ちゃんと着いて来いよ、転ぶんじゃないぞ!」
 三人は苔むした滑りやすい横穴を、右へ左へと駆け抜けていった。予想していた追撃はなく、少しも走ると花カワセミたちの姿は見えなくなっていた。
「ふう、ふう……こんなんだったら別に走る必要はなかったな」
 フレイは二人から手を離すと、自分達が走ってきた穴の向こうを見やった。先程までと比べるとかなり狭くなっていた通路は、蛇行しながら緩やかな下り坂を描いている。走った距離を考えると、最初の場所からかなり下の方に下りてきているようだ。洞窟に入ったときの寒さはもはや微塵も感じられず、今では湿気の多く含んだ空気のせいもあってか、かなり暑苦しいほどにすら思えた。
「ごめんね、お兄ちゃん」
 俯いて謝るアネット。
「いいよ、俺も気にしてないから」
 嘘だった。今でもアネットが自分を引き留めたことにひどく憤りを感じている。だが、彼女には彼女なりの考えがあるのだろうし、現にこうして逃げてきても何の問題もなく済んでいるのだ。だから、このことに関してはこれ以上何も口にしないことにするように決めたのである。
「あのな、着いてこようが何しようが構わないが、俺達の足を引っ張ることだけはやめてくれ……」
「バティ!」
 文句を言い出そうとしたバティをフレイは諌めた。なぜ自分が諌められなくてはならないのか、そのことに理不尽さを覚えたバティだったが、これ以上余計に口を出すと自分一人が悪者になってしまいそうだったので、諦めることにした。
「分かったよ。分かったから、先に行くぞ」
 バティは不機嫌そうな声を上げて、通路を下に向かって突き進んでいった。何も言わず、それに着いていくフレイ。そしてアネットも、自分のせいでこうなってしまったのだと自分を責めるような思いで、やはり無言で二人の後に着いていった。

 

 それからも三人は静かに洞窟を奥へ奥へと進んでいった。通路は進めば進むほど狭くなっていき、気が付けば二人が横に並んで歩くのも難しいほどになっている。途中には何か所か分かれ道もあったが、バティが機転を利かせて二人を誘導していった。
 通路は果てしなく細くなっていくかと思われたが、それは再び大きな広間に突き抜けて終わっていた。
 抜け出た広間は、床の向こう半分が崩れていて、その奥には真っ暗な闇が広がっている。三人は崩れた床の手前までやってきて、その奥を覗き込んだ。穴はかなり深くなっていて、床らしきものが見えるような気はするのだが、その様子は暗くて何も分からなかった。
「これは相当深そうだな。どうする、下りるか?」
「当たり前だ。じゃなきゃ、何しに来たんだか分かんないだろ。ちょっとまってろ、今ロープを引っかける杭を打ち込むからな」
 バティはサックから鉄製の杭と金槌を取り出し、それを床に打ち付け始めた。軽快な金属音が広間に広がっている間に、二人は周囲の様子をいろいろと見て回る。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん、どうした?」
「この壁、何かが崩れた跡じゃないかな?」
 アネットは目の前の壁に触れてみた。比較的凹凸の少ないはずの広間の壁面が、その辺りだけ妙にごつごつとしている。細かい様子は苔に覆われていてよく分からないが、確かにこれはその向こうに何かがあって、それが崩れた跡のようだった。
「本当だな。だとすると、この向こうはいったい何なんだか。まあ、こいつを退かすのは無理っぽいから、確認できないけどな」
 フレイもやってきて、その壁面を触り始めた。だが、壁を埋め尽くす岩はそれ一つ一つが彼の体一つ半近いほどの大きさがあり、彼らの力ではそれを退かすことはできそうになかった。
 そして、金属音が止まる。
「よし、終わったぞ。ん、何やってんだ?」
 杭を打ち付け終わったバティも二人の元へと駆け寄ってきた。
「いや、ここに通路があったみたいだからさ、この向こうは何なんだろうかなって話をしていたところだ」
「へえ、そうなのか。もしかするとその奥にも宝物とかがあるのかもな」
「でも、中に入るのは無理だぞ」
「それくらいは俺でも分かる。とにかく、準備ができたから下りようぜ」
「そうだな」
 打ち付けた杭にロープを引っかけ穴の中へと垂らすと、まずフレイがそのロープを伝って穴の下へと下りていった。しかし、穴は予想以上に深かったらしく、ロープは床に辿り着く前に途切れていた。
「おーい!」
「何だ?」
「ロープ足んないぞ!」
「マジか!? でも、それより長いロープは無いんだよな。しょうがない、あとどれくらいある?」
「俺の目の高さくらいまでかな」
「じゃあ、飛び降りろ。帰りは飛びつきゃなんとかなるだろう」
「分かった」
 言われるまま、フレイはロープから飛び降りて床に着地した。
 そして彼がそこで見かけたものは……
「何だ……?」
 明らかにそこはこれまであったような広間の室とは違う空間だった。壁はブロックで綺麗に仕切られており、足元もこれまでの岩盤とは違い、しっかりとした石の畳が敷かれている。そして中には壺や樽、果てはタンスなんてものまであり、明らかにこれは人間がこの場所で何かをするために造られたとしか思えないものであった。
「おーい、下はどんな感じになってるんだ? 危ないことはないか?」
「……扉だ」
 上から叫びかけてくるバティの声もまったく聞こえていない様子で、フレイは部屋の一角にある扉に向かっていった。木製の扉はすっかり朽ち果てていて、フレイが軽く押してやると、それはばらばらと乾いた音を立てて崩れ去った。そして彼は引き寄せられるようにその奥へと足を踏み入れた。
 その彼に覆い被さるように、脇から大きな影が一つ伸びていった。

「おい! フレイ! どうなんだって聞いてるだろうが!」
 穴の上ではまだバティが様子をうかがうために奥に向けて叫びかけている。その隣ではアネットも心配そうに穴の奥を見つめている。
「まいったな。下で何かあったのか?」
 バティが確認のためにロープを引っ張ってみた。だが、手にかかるのはロープの重みだけである。
 その時、地震のような轟音と激しい揺れが二人を襲った。
「うわっ!」
「きゃっ!」
 バティがその場に尻餅をつき、そして、身を乗り出して下を覗き込んでいたアネットは穴の中へと呑み込まれてしまった。
「……っ!」
 不意にバティの手が伸び、暗闇に沈んでいこうとするアネットの手首を掴む。次の瞬間、バティは右腕を引きちぎられるような感触を覚えた。
「あっ……」
 まだ呆然とした目で、アネットが穴の上で苦しそうにもがくバティの姿を見つめる。
「は、早くロープにつかまってくれ……。俺はお前の兄貴と違って、力持ちじゃねえんだよ……」
「あ、ご、ごめんなさい」
 アネットは自分とバティ二人分の震えを乗せて大きく揺れる右手を、垂れているロープへと差し伸べた。しかし、ロープは彼女の手のやっと届く場所で微かに揺れていて、なかなか思うように掴めない。
「はっ、早くしてくれ……!」
「も、もう、ちょっと……」
 二度、三度、拳を握っては開いてを繰り返すが、ロープはそのたびに指先から逃げていく。
「だっ、駄目だっ……!」
 そして、耐えきれなくなったバティの手の中から彼女の手がすり抜けた。たちまち、アネットの身体が闇の中へと吸い込まれる。
「アネット!」
 バティが身を乗り出して穴の下を覗き込むと、アネットは少し落ちたところでロープにしがみついて揺られていた。ほっとバティが胸をなで下ろす。
「こ、怖かった……でも、今の揺れは何だったのかしら?」
 アネットはまだ揺られたまま、顔を下に向けた。
 先程の音と揺れは明らかに下の方から来ていた。多分、フレイが下りていったこの下の空間で起きたものに違いない。
「さあな。でも、さっきっからフレイの返事がないってことは、下で何かあったのかもな」
 それを聞いてアネットは息を呑む。
 そして彼女は揺れるロープに沿って一気に下へと滑り降りていった。
「おっ、おい、アネット!」
 バティは彼女を引き留めようとしたが、既に彼女の身体は闇に消えていた。見えるのは先程までよりもはるかに大きく揺れているロープが一本だけである。
 さすがに彼女一人を行かせるわけにもいかず、バティは舌打ちをしてから、仕方なく自分もロープを伝って穴を下りていった。
「うわっ、何だここは!?」
 下りた先のその「部屋」の様子に驚くバティ。しかし、その先の光景にさらに彼は驚いた。
「お兄ちゃん!」
 アネットの叫ぶ声。
 フレイは大小様々の瓦礫と共に床に倒れていた。そして、彼と二人の間に立ちはだかる一つの影。
 四本の足でしっかりと立ち二本の太い腕で大きな斧を支え持つ生き物。彼らの軽く倍はありそうな巨体の、コウモリのような羽根と巨大な尻尾を持つそれは、今まで彼らが見たこともないような生き物であった。
 アネットは村の番人がしてくれた話を思い出した。まさか、これが村の中に入り込んだという化け物なのだろうか。
 巨体の化け物は手にした斧をまだ倒れているフレイに向けて振り下ろした。
「駄目ぇっ!」
 アネットの悲鳴と共に、辺りに激しい風が巻き起こる。側にいたバティが大きくあおられ、両腕で顔を覆う。巻き起こる風は姿を変え、鋭い刃となって目の前の怪物に襲いかかっていった。刃は怪物の全身を切り裂き、そして、手にされた斧が根元から切り落とされる。
 しかし、風が収まると化け物は何事もなかったかのように切り落とされた斧を拾い上げ、片手にそれを持って背後のアネットに顔を向けた。
「ひっ」
 彼女の全身にひどい寒気が走る。恐怖で全身が引きつる。
「やめろ……」
 よろめきながら立ち上がるフレイ。彼は鞘に収められたままの剣を抜き、渾身の力を込めて振り払った。剣は強固な皮膚に弾かれ、化け物に傷を与えることができない。
「くそっ、なんて硬いんだ!」
 うめくフレイに斧が振り下ろされる。床を蹴ってフレイがそれを交わす。斧はすっかりぼろぼろになった床に突き刺さり、再び辺りに激しい振動が起きる。もう一度彼は化け物に剣を突き付けたが、やはり弾かれてしまう。
「フレイ、離れろ!」
 バティの声を聞いて、フレイはその場から飛んで逃げた。その瞬間、ひんやりと冷たい空気が彼の頬を撫でる。
「ヒャド!」
 凍てつくような空気が化け物の周囲に広がる。冷気は巨大な氷の槍を作り上げ、化け物の胴体に深々と突き刺さった。およそこの世のものとは思えないような悲鳴を上げて、化け物は前足を持ち上げて天井を仰ぐ。
 フレイは暴れる化け物に駆け寄ると、氷の槍によってうがたれた大きな傷口に剣を突き立てた。先程までとはうってかわって、刀身が力を込めるたびに化け物の体内に潜り込んでいく。
「うわっ!」
 さらに声を荒げ激しく暴れる化け物にフレイは弾き飛ばされた。アネットが慌てて彼の元に駆け寄る。
 化け物の悲鳴が次第に弱くなり、やがてその巨体がこれまでで最も大きな振動と共に地面に倒れた。床の上でもがく化け物の動きが止まり、最後まで振られていた尻尾が完全に床面に寝かされる。
「た、倒し、たのか……?」
 わななくフレイ。そして、呆然とする三人の目の前で、化け物の身体は息の詰まるような衝撃と共に、黒いしこりとなり辺りの大気中へ四散していった。
「お、終わった、みたいだな」
 バティが本来は辺りを探るために使う長い棒を取り出して、恐る恐るまだ少し凝り固まっている黒い気体をかき回す。
「ああ、そうだな。ありがとな、バティ」
 フレイに感謝され、照れ臭そうにバティが頬をかく。
「よ、よせよ。と、とにかくお前にはあいつを倒してもらわないと、と思って、だな……」
 さまよわせるバティの視界に無言でうつむくアネットの姿が映る。フレイもそれに気付き、自分に寄り添う彼女に顔を向けた。
「なあ、アネット。今のを見てもまだかわいそうだ、とか戦いはしたくない、とか思うか?」
 堅く口をつぐみ頭を垂れたまま、アネットは何も答えない。
「アネット……」
「……分かんない。もう、ちょっと……考えさせて」
「そうか」
 フレイは重々しい息をついて立ち上がった。
「あっ、怪我」
 アネットもそれに合わせて立ち上がる。瓦礫に埋もれ魔物に弾き飛ばされたフレイの全身には、大きな怪我こそないもののあちこちすり傷や裂傷だらけで血も大量に滲んでいる。
「平気だよ、これくらい」
「だめだよ、ちゃんと手当てしないと」
 アネットは一番ひどい怪我のあるフレイの左肩に手を添えた。彼女の手の内が淡く白い光に包まれ、それが彼の肩の傷を包み隠し込んでいく。
 光が収まると肩の傷はすっかり塞がっていた。
「……治ってる」
 驚いてフレイが何度も肩をさする。少しむずかゆい気はしたものの、痛みは全くない。傷跡も見えない。アネットはさらに血を流している兄の左のこめかみに手を伸ばし、そこにあった傷口も同じように塞いだ。
「ここも、だよね」
 彼女は反対側に回って、フレイの右脇腹を見た。慌ててフレイが飛び離れる。
「もっ、もういいよ! あとは普通に手当てすればすぐに治るから!」
 フレイの全身に冷や汗が浮かぶ。目の前で首を傾げる妹の姿が彼にはひどく不気味に見えた。
「な、なあ。それよりこの扉、いったい何なんだろうなあ?」
 フレイと同じような目でその光景を見ていたバティが、わざとらしく部屋の奥にあった扉に手を添えて言った。
「あっ、そ、そう、それ! それ俺も気になってたんだよ!」
 フレイもぎこちない仕草でそこに駆け寄っていく。まだアネットは最初にフレイの脇腹に手を添えようとした格好のまま動かないでいる。それをお互い確認してから、二人は扉の様子を調べ始めた。
「随分朽ちちゃいるが、どうもこれは質の良さそうな木みたいだな」
「なあ、やっぱりお前が言っていたように、ここは以前誰かが使っていたのか?」
「多分間違いないな。それもこいつは相当身分の高そうなヤツが使ってたみたいだぞ。お、ノブだ」
 バティは取っ手に罠がないことを確認してから、それを握って扉を前に押し開いた。

 扉の向こうには今まで三人がいた場所に比べると、さらに明らかに「部屋」だと分かる作りの空間になっていた。

 

 奥にあった部屋は、明らかに何者かの居住空間であった。
 どれも古びてはいるが、テーブルや机、椅子があり、本棚やベッドさえもある。そして、床はこれまでのようにむき出しではなく、古さからなのか赤茶けたじゅうたんが強いてあった。
「おい、絨毯だよ。何処かの貴族か王族でも住んでたのか、おい」
「こんな穴の底にそんな人間が住むか?」
「じゃなきゃ、よほどの悪人か盗人だな。なるほど、そいつはお宝が期待できるな」
 バティが意気込んで部屋の至る所を物色し始めた。あまり人の部屋を物色するのにいい気はしなかったフレイだが、元々彼がここに何をしに来たのか、ということを考えると止めるにも止められない。
 その間にアネットも部屋に入り彼の横にやってきていた。
「ねえ、あれ、何だろう?」
「うん?」
 アネットが指差す先を見る。
 だが、そこには特別に不思議な物があったというわけでもなく、机の上に小さな指輪が一つ置いてあるだけだった。当然バティもそれを見つけると、ひょいと取り上げて鑑定するかのように注意深く指輪の様子を見た。
「なんだか随分ちっちゃい指輪だな、オモチャみてぇだ。あんま高そうに見えないし……気になってんならやるよ、ほら」
 バティが二人に指輪を投げてよこした。掌の上に落ちたそれを二人がしげしげと見つめる。
「入るかどうか、試してみるか?」
「冗談言わないでよ。この大きさじゃ、私の小指にも入るかどうか……」
 笑いながら言うバティに反論しようとアネットが顔を上げた瞬間、指輪はまばゆい光を放ちだした。
「うわっ!」
「きゃあ!」
 光はまたたく間に辺りを包み込み、部屋一面を真っ白く染める。そして、何も見えない、ただ真っ白いだけの空間に一人の女性の姿がぼんやりと浮かび上がった。青と白を基調とした法衣に身を包んだ、長く美しいブロンドが印象的な女性である。霞んでいた姿がはっきりとしてくると、女性は閉ざしていた瞳をゆっくりと開いて、驚き戸惑う彼らを見つめた。雲一つないすっきりと晴れた空のように、見ているだけで吸い込まれてしまいそうな、それほどまでに澄んだ青い瞳だ。
『……あなた方ですか、私を呼び起こしたのは』
「え、あ……はい……多分……」
 瞳と同じように澄んだ声で女性が尋ねかけてきたので、アネットは慌ててうなずき返した。
『そうですか』
 すると女性は、一度目を閉じ、深くため息をついた。その憂いの表情からも漂う美しさに、彼らは何も言えずただ息を呑むのみだった。
『こうして私がこの場にいるということは、今世界がよからぬ事に向けて動きつつあるということでしょう。かつて、私達の時代がそうであったように』
「かつて、私達の……?」
 女性はフレイとアネットの元にゆっくりと近寄ってきた。
『あなた方が私を呼び出すことができたのは、あなた方がその流れを引き止めるために選ばれた者であるからです。少年よ』
 女性はフレイの方に顔を向け、その顔に優しく手を触れた。いや、実際には触れたのかどうかは分からない。ただ、温かく柔らかな感触が頬に伝わってきたのだ。
 そうして女性がしばらくフレイの顔を見つめる。
『……そうですか。それでは、あなたは……』
 不意に女性がすっと目を細めた。ひどく哀しそうな目つきである。
 激しい動悸がする。
 女性は何かを言いかけようとしたが、途中で口を閉ざしてそこから先を告げようとはしなかった。次に彼女はアネットの方に向き直り、フレイにしたのと同じように優しく手を差し伸べてきた。
『少女よ。あなたの眼差しには、おぼろげながら私と同じものを感じます。ですが、まだ今は時が充ちてはいないようですね』
 女性とアネットは互いに互いの目をじっと見つめた。不思議な眼差しを持つ女性。その瞳と自分の瞳に同じものがある、そう言われた彼女は、オラクルベリーでイナッツに言われた言葉を思い返していた。
『……澄んだ瞳。
 深い海の底のような、どこまでも澄んだ瞳。
 あなたのその瞳を見てるだけで、どんな思いも溶かされてしまいそう。
 ……でもね、さっきこの話を始めた時、あなたの瞳、すごく濁ってたの』
 そしてまだ時が来ていないということについても、少しばかりの見当がついた。おそらくは現在のわだかまる自分の気持ちがそれを妨げているのだろう。この乱れる心に整理がついた時、その時に、彼女の言う「時が充ちる」時が来るのかもしれない。
 女性はアネットの顔から手を離し、少し後ろに下がって再び二人を見た。
『あなた方の手にするその指輪を持ってお行きなさい。そして、その指輪をエルヘブンの長老に渡すのです』
「エルヘブン……」
 名こそは聞いたことのあるその地を、二人は口を揃えて呟いた。フレミーノやオラクルベリーのあるところから東に向かった海上に浮かぶ北アイララ大陸の中央にある村落。聖なる地としてその名を知られているが、切り立った崖に囲まれ隔離されたその村についてそれ以外のことは何も知られていない。謎と神秘に充ち満ちた地である。
『エルヘブンに行けば、私の言ったことをより知ることができましょう。さあ、お行きなさい、少年達』
 彼らを包む光が次第に弱まっていく。それにつれて、女性の姿も次第におぼろになっていき、やがて光と共に虚空に消え去った。アネットの手に残った指輪はそれからも少しの間だけ淡い光を放っていたが、やがてはその光も失われてしまった。
 指輪は光を放つ前と同じ、いや、先程までとはその形を変えていた。手に取る前の指輪は、本当にアネットでさえ小指にはめられるかどうかといった大きさのものだったのだが、今はその穴が彼女の中指に丁度入りそうな大きさまで広がっている。
 アネットは恐る恐るそれを中指にはめてみる。すると指輪は不思議なまでに彼女の指にぴったりとはまり、まるで最初から彼女のために作られたものであるかのように思えた。
 フレイとアネットは改めて指輪を眺めてみた。先程の女性と同じような澄んだ青色の指輪。特に華美な装飾もなく、宝石もあしらわれていないが、それはどんな宝飾よりも優雅で華麗に見えた。
「おーい、お二人さんよ」
 そこへバティの声がかかり、二人は飛び上がって、彼のことを見た。
 バティは部屋の片隅の崩れた壁のところで、随分とつまらなそうな表情を見せている。
「やっと気付いてくれたか。さっき指輪を渡してからずっと声をかけても返事してくれなかったもんだからよ、その間に色々と探し回ってたんだが……まったく、見かけの割にろくなもんがありゃしないな。見つけたのはこの通路一つだけだぜ」
 バティの言葉を聞いて、二人は顔を見合わせた。先程の光と、そこに現れた女性、それは彼には見えていなかったらしい。それは彼女の言うように自分達が「選ばれた者」であるからなのだろうか。
「そうか。ところでバティ、この通路、どこに繋がってるんだ?」
 フレイは気を取り直してバティの元に歩み寄ると、その大きく開いた横穴を覗き込んだ。
「さあな。ただ、時々小さな段差を挟んで上に上ってるみたいだから、きっとどこかには突き抜けるだろう。さっきの穴を苦労して登るよりは、こっちの方が楽なんじゃないかと思ってな」
「そうだな。おい、アネット」
「え、あ……何?」
「行くぞ」
「う、うん」
 フレイに促されて、アネットは小走りで横穴に入っていった。バティも横穴に入った後、フレイはじっと先程の部屋の中を眺めた。先程の女性の言葉が何度も脳裏に浮かんでは、消える。
(世界の流れを、引き止める……俺が?)
「おーい、フレイ! 何やってんだ! 早く来いよ!」
「ちょっと、お兄ちゃん! 早くしてよ!」
「ああ、ごめん。すぐ行く!」
 しかし、二人の彼を呼ぶ声が聞こえると、フレイは横穴に飛び込んでその中を駆けていった。

 フレイが横穴に消えてしばらくすると、明らかに人工のものだった部屋の様子が、見るも無惨な瓦礫の山へと姿を変えてしまった。

 

「それで、フレイ。お前達はこれからどうするんだ?」
 横穴を通り、最初に突き当たった段差の上で、バティはフレイに尋ねた。フレイはやや高い段差をどうにかして登ろうと苦闘しているアネットを引き上げている途中だった。
「俺達? そうだな、エルヘブンに行こうかと思っているんだが」
「エルヘブン? そんなとこに何しに行くんだ?」
「さあな」
 先程の女性のことを説明するにもいかず、フレイは少しとぼけてみせた。
「それで、バティの方こそ、これからどうするつもりなんだ?」
 ようやくアネットを引き上げ、横穴をさらに歩きながらフレイはバティに尋ねた。
 バティは腕を組んで暫く唸っていたが、
「そうだな。正直なところ、今までこれからどうしようか悩んでたんだがな。オラクルベリーに戻ったところでこれといっていいこともないだろうし、かといって家に戻ることもできゃしないからな。だからな、今決めた。俺、お前達に付いていくことにした」
「はあ?」
 まさか、そんな回答が返ってくるとは予想していなかった。二人は顔をしかめておかしな声を上げた。
「別にいいだろ? お前達がエルヘブンに何しに行くのかも気になるしな」
「うええ」
 ようやくアネットを引き上げられたフレイが思わずうめいた。
「何だよ、フレイ。その嫌そうな顔は? もう決めたからな。嫌だろうがなんだろうが、無理矢理にでもついて行くからな」
「ああ、分かったよ。もう好きにしてくれよ、ったく」
 フレイは先々の不安を抱きつつも、渋々承諾する事にした。バティの足取りだけが妙に軽かった。

 横穴を満たす空気は、再び少しずつ冷たさを帯び始めていた。

第2章 終

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