第3章

▼OZ▲

 今日も、ひどい夢だった……

 朝はいつもこんな感じだ。怖い夢にうなされて、無理矢理起こされる。夢は起きるとすぐにどこかに行っちゃって、思い出そうとする時にはもうさっぱり忘れちゃっている。
 嫌だな……怖い夢を見るのもだけど、どんな夢だったか思い出せないのが、もっと。
 ぼくはベッドから降りて窓の外を見た。
 まだ朝早いのに、薄暗い中を町のみんなが走り回ってる。
「みんな元気だなあ」
 ぼくはふうっと息をついて空の方を見上げた。遠くに見える山々の上に広がる雲の多い空がぼんやりと明るく光っている。まだ日は昇ってないけど、もうすぐ夜は明けるみたいだ。
「よっ、と」
 ぼくは乗っかっていた椅子から飛び降りると、もう一回窓の方を見た。
 レヌール城のある西側に開いた窓。さっき見た山の向こうにきっとあるレヌール城の名前をこの町で最初に聞いた時、ぼくはなんだか変な胸騒ぎがしたんだ。
 でも、なんでだろう?
「オズくーん、起きてる?」
 ヴァレアおねえちゃんが呼んでる、何だろう。
 ヴァレアおねえちゃんはぼくが暮らしているこの宿屋の子で、ぼくより六つ上の女の子。ちょっと乱暴だけど、元気で明るくっていつも楽しそうにしてる。
「うん、起きてるよ」
 ぼくはそう言って扉を開けた。いつもは背中まで垂れてる赤い髪を後ろに小さくまとめたヴァレアおねえちゃんが立ってる。
 どうしたんだろう? そう思ってよく見てみると、おねえちゃんは腕まくりをして、汚れたエプロンと手袋をしていた。
「あ、よかった、起きてたんだ。じゃあさ、ちょっと手伝ってよ。もう忙しくって忙しくって」
 ヴァレアおねえちゃんは、まくった袖で額の汗を拭って笑った。
 ……こんな朝早くから忙しいの? 何で?
 そう思ってぼくはおねえちゃんに聞いてみた。
「忙しいって、どうして?」
「えっ、ちょう忘れてん? 今日からバザーがあるんよ」
 え、バザー?
 あ、そうか。そういえばそうだっけ。すっかり忘れていたよ。
 ぼくが顔を動かしたのに気付いたのか、おねえちゃんは腰を上げてまた笑った。
「ようやっと思い出してんね。まあ、そういうわけだからさ、ほい」
 いきなりおねえちゃんは立てかけてあったブラシをぼくに渡してきた。ぼくの背くらいはある大きなデッキブラシだ。これって、確かいつも外掃除に使ってるやつじゃあなかったっけ?
「オズ君はテラスの掃除をお願いね。日が完全に昇りきっちゃう前に済ませてよ。ほんじゃあ、よろしく〜!」
 あ、ちょっと、おねえちゃん!
 ……行っちゃった。まだ「はい」とも「いいえ」とも言ってないのに。
 でも、これでやらずにいたら、きっと後でおねえちゃんにひどいことされるんだろうなあ。まず絶対に朝ご飯はくれないに違いない。さすがにそれは嫌だな。しょうがない、やろう。
 ぼくはとりあえずもらったブラシをもう一回壁に立てかけてから、部屋に戻って着替えを始めた。いくらなんでもパジャマのままじゃかっこ悪いし恥ずかしいし、それに汚しちゃったら困るもんね。
 パジャマをぽいぽいとベッドの上に脱ぎ捨てると、ぼくはタンスの中から服を取りだしてさっさと着替えを済ませた。いつも思うんだけど、この服って女の子用っぽいんだよなあ。まあ、折角いただいてる物なんだから、文句は言えないけどさ。
 スリッパから靴に履き替えたぼくは、とんとんと爪先で床を叩いてから、さっきたてかけたブラシを手にして部屋から走って出た。
「あ、オズちゃん。おはよう」
「おはよう!」
 宿屋の入り口のホールに出たところでミゼットおばさんが挨拶をしてきたので、ぼくも挨拶を返した。ミゼットおばさんはヴァレアおねえちゃんのお母さんで、ここの宿屋の店主だ。おばさんはぼくの四倍くらいの重さがありそうな身体を押し付けるようにして、カウンターのテーブルを拭いている。
 ぼくは他にホールで掃除をしているお兄さんたちにも挨拶をしながら、二階に続く階段を駆け上がっていった。テラスは二階の奥にある扉の向こうだ。
「そーれっ!」
 ぼくは元気よく声を上げて扉を開けてテラスに出た。さて、掃除、掃除っと。
 ……あれ、水桶がない。
「なんだよ〜、ヴァレアおねえちゃんってばさあ。水桶くらい準備してくれてもいいと思うのにさあ」
 しょうがない。自分で持ってくるしかないか。井戸は宿を出てすぐ右手だったっけ。
 ぼくはブラシを置くと、もう一度中に入って階段のところまで戻ってきた。すると、ホールがさっきぼくが駆け抜けた時と比べると随分騒がしい。仕事をしていたお兄さんたちは手を休めて何やら話し合っているし、それにカウンターにいたはずのミゼットおばさんの姿がない。
「ねー、どうしたの? 何かあったの?」
 なんだか気になったからみんなに聞いてみた。しかし、
「ほら、何やってるんだい。ぼやぼやしてないでさっさと仕事を始めな!」
 カウンターの奥からミゼットおばさんが出てきたので、みんな話をやめて仕事を始めた。ぼくが聞いたことには誰も答えてくれない。しょうがないので、ぼくは階段を下りてミゼットおばさんに聞くことにした。
「ねえ、おばさん。何かあったの? 様子が変だったよ?」
 カウンターに手をかけて背伸びをしてぼくはおばさんに聞いてみた。おばさんはなんだかひどく困ったような顔をしていた。
「いや、ちょっとねえ……。ついさっきここに傷だらけの兵士さんがやってきたんだよ。とりあえず入って来るなり気絶しちまったもんだから、奥に入れて今ダンナに治療させてるんだが……あの兜のマークは、確かレヌール城の騎士団のもんじゃなかったかねえ……」
 レヌール……!
 ショックだった。ずっと気にかかっていたレヌール城の兵士さんが、気絶するような大けがをしてここまでやってくるだなんて。
 ぼくは思わずカウンターに身を乗り出していた。
「ねっ、ねえ、そ、それって……!」
 おばさんはさらに困ったような顔をして首を横に振った。
「そうだねえ、あの様子だと、お城で何かよくないことでもあったんじゃないかねえ……あっ、オズちゃんっ!」
 ぼくは外に向かって駆け出した。おばさんがぼくを止める声がしたけど、もう止まれない。
「きゃっ!」
 外に出た瞬間、ヴァレアおねえちゃんの声がした。それでもぼくはただひたすら外に向かって走っていった。

 

「…………」
 呆然とヴァレアが少年の走り去っていった先を見つめている。倒れた水桶から広がる水が、尻餅をついている自分の服のお尻周りを濡らしているが、そんなことは気にならない。
「オズちゃんっ!」
 宿の中からミゼットが飛び出してきた。
「どうしたんね、お母さん! 何かあってん?」
 ヴァレアが立ち上がって母に尋ねた。ミゼットは珍しい慌てた様子でエプロンを脱ぎながら答えた。
「何だか分かんないけど、お城の話をしたらいきなりオズちゃんが飛び出して行っちゃったんだよ! 今から追いかけるから、あんたは店の方頼んだよ!」
「あっ、待って! あたしが追っかける!」
 お城と聞いて嫌な予感がしたヴァレアは、手早くエプロンを脱いで母に手渡すと、すぐさまオズの去っていった通りを駆け出した。
 あの子は絶対に外に出てお城に向かうつもりだ。彼女だからこそ、彼が何を考えているかがよく分った。
「早く止めんと……!」
 手遅れになる前に……

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